山科のNanibah(なにば)です。
7月23日に大原へ行きました。暑い時期なので観光客の多い三千院と寂光院を避け、山の中にある古知谷の阿弥陀寺、声明で名高い勝林寺を訪問しました
最初に訪れたのは古知谷の阿弥陀寺。古知谷まで京都バスで行くことも可能ですが、本数が少ないので、往復の時間を確認することが大切です。幸いなことに、今回は大原の友人が山門まで車で連れて行ってくれました
山門は中国風のスタイルですが、阿弥陀寺はもともと知恩院派の浄土宗の寺院です。山号「光明山」の文字は素朴で温かい感じがします
石碑に書かれた「弾誓佛一流本山」は開山の弾誓上人(たんぜいしょうにん)を弾誓佛として阿弥陀如来像とともにご本尊とする、その独自性を示しているようです
阿弥陀寺は山門から参道を歩いて20分ぐらいのところにありますこの参道は緑豊かな山道で、涼やかな空気と木々の香りと控えめな蝉の声が自然の精気をもたらしてくれます森林浴にもぴったりではないかと思いました
参道の途中で、京都市指定の天然記念物、樹齢800年の古知谷のカエデを見ることができます木の幹が長老のお顔のようにも見えます。800年のお山の歴史を見守って来たのでしょうね。老いていても堂々とした威厳のある樹で、今も大切に保護されています
阿弥陀寺に近づくと、こんな注意書きがあります階段も苔むして滑りやすくなっているからでしょうかみなさまもお気を付けください
阿弥陀寺のご本尊は開山の木食上人(もくじきしょうにん)弾誓の尊像ですこの像は弾誓が霊木を彫って作ったもので、自分の頭髪をその像に植えたのだそうです。ただ、現在は肉眼では頭髪が植えてあるのかどうかははっきりとわかりません
弾誓上人は修行中に木の実や木の皮を食し自らの身体を樹脂化して、即身仏(ミイラ仏)として入定(にゅうじょう)されました上人のミイラ仏は石棺に収められ、本堂の横にある「開山窟」の中の石廟に安置されているとのこと畏れ多くて、開山窟の中に入ることはできませんでしたが、そこに近づくと、ひんやりとした霊気を感じました
弾誓上人入定の百年後に上人の行跡を慕った澄禅(ちょうぜん)上人が阿弥陀寺に入り、山の岩穴の中で5年間修行をして入定されたという話も伝わっています
「即身仏になる」という考え方を理解することは現代人の私にはとても難しいのですが、苦行を続けたお二人の上人の強い信念には敬服します
阿弥陀寺の庭はこぢんまりとしていますが、とても美しく、借景というよりは庭が山に溶け込んでいるという感じです。お庭にはかわいい石像も並んでいました。
静かな山の中のお寺にはゆったりとした時間が流れているようで、自分が今どの時代にいるのかもわからなくなりそうです
阿弥陀寺で「弾誓佛」の御朱印をいただきました。参道は新緑の季節が風情があってなかなか良いとのことですまた、庭で大切に育てている九輪草もその時期に可憐な花を咲かせると聞いたので、新緑の季節にまたここへ来てみたいと思います
大原の里に戻って、勝林寺(大原寺 だいげんじ)を拝観しました。山号は声明の寺にふさわしく「魚山」です。1013年に寂源(じゃくげん)により声明の根本道場として創建されました。
来迎橋を渡ると極楽ですつまりお寺の境内が極楽なのです。そして、橋の下には「三途の川」が流れているではありませんかひっそりと流れる小さな川ですが、現世に生きているのに「三途の川」を渡れるなんて驚きですね
来迎橋から立派な本堂が見えます。柱の白い文字は右が「勝林院」、左が「大原問答」です。
「大原問答」とは1186年に法然上人を招いて行われた宗教談義です。法然上人は様々な宗派の僧侶から投げかけられた数々の難問に答え、念仏により極楽往生ができることを説きました。そのとき、ご本尊の阿弥陀如来が手から神々しい光を放ち、法然の説が正しいことを示したという伝説が残っていますこの阿弥陀如来は「証拠の阿弥陀如来」と呼ばれているそうです。阿弥陀如来はとても穏やかな美しいお顔をなさっているので、仏女(ぶつじょ)にも人気があるようです
本堂では録音された声明を聞くことができますほの暗いお堂で、阿弥陀様のお顔を眺めながら声明を聞くと、心が解放され、とてもリラックスできます
勝林院には昭和の歌人、平井乙麿(ひらいおとまろ)の歌碑があります。声明が里に広がっていく様を詠っています。「苔の上をまろぶが如く流れゆく呂律の里の弥陀の声明」
鐘楼の梵鐘は藤原時代のもので、重要文化財に指定されています保護のため普段は使われていませんが、大晦日には除夜の鐘が鳴らされるそうです
勝林院でいただいた御朱印は「大原問答」と記されています。これも独特ですね
山門のそばに法然上人腰掛石があります。とても座り心地の良さそうな石でした
声明の道場を訪ねたついでに、声明の呂と律にちなんで名づけられた呂川(りょせん、ろがわ)と律川(りつせん、りつがわ)のほとりを歩いてみました呂川は三千院の南側を流れ、律川は北側を流れています。二つとも小さく細い遠慮がちな川です。
「呂律が回らない」というのは酔っぱらいのしゃべり方というイメージですが、もともとは声明の呂旋法と律旋法の使い分けが上手にできないという専門用語だったんですね
呂川
律川
さて、大原と言えば紫蘇が有名です。広大な紫蘇畑を見ることができました800年前から栽培されている大原特産の赤紫蘇です。大原の朝夕の寒暖差と霧の湿気がこの紫蘇の栽培に適しているそうです
その昔、大原の里の人が傷心の建礼門院をお慰めしようと柴漬けを差し上げたところ、建礼門院は大層お喜びになったとのこと
私も大原のお土産に柴漬けと紫蘇ジュースを買って帰りました