古の体幹トレーニング。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 車夫営業していると、神経疲労ばかりで肉体疲労を感じたことはなかったが、昨日は初めて肉体疲労を感じた。いつもよりちょっとだけハードだったけれど、それでも肉体疲労するほどではなかった。が、午前二時近くに帰宅すると体はどんよりしていて、晩食の時に買っておいた夜食用の鶏唐揚げ黒酢あんを食べ安焼酎をストレートでグビッとやると、途端に血の気が引き、倒れた。急激な嘔吐感を催し厠に這っていった。胃の内容物を吐くといくらかラクになったが、肉体が疲れていると実感した。虚弱体質だけど、こういうことは滅多にないので驚いた。後で振り返ると、どうやら午にカツ丼を食べ、夜に天丼を食べたせいで、胃が油塗れになり、消化不全に陥ったところに、濃い安焼酎を流しこんだせいではないかと思われた。吐くというのは気持ち悪いことだけど、こういう場合は最適な対処で、朝目覚めたら体調が戻っていた。眠っている間に胃腸が自力でいろいろ補修したり調整したりしたのだろう。
 体調が良いので、午後は稽古に出かけた。これもひとつの好適対処と思うが、どんより気味の時こそいくらか体や気分を動かす方が良い。風邪の時と同じで、軽く運動したり風呂に入った方が経過が良いものである。

 土曜は子供中心だが、今日は成人も四人いて、少し遅れて婦人も一人参戦した。私も遅れていき、一人で和式ストレッチや調体をじっくりやった。なぜかというと、最近また足を攣りやすくなっているので問題を特定し解決するためである。特に右足がピキッとなりやすく、軽くアクセルを踏みこんだ瞬間にピキッとなったりする。今のところ客を乗せている時になったことがなく助かっているが、いつ発生するかわからないので、早めに解消しなくちゃと。
 数年前から頻繁に攣るようになったが、老化のせいだろうと気にしなかったが、人命に関わるので解決しておかなければらない。そこで、足の問題をあれこれ調べた。
 すると、右足の第四指の付け根あたりに強い違和感があることがわかった。この辺の筋肉か筋に問題があるらしいので、細かくマッサージし、その起始と停止に関係しそうな経穴をグリグリした。これがけっこう奏功するようで、右足の中に巣くっていた攣りの根になっていそうな違和感がずいぶん和らぎ、当分は不安なく営業できそうになった。

 足問題が解消できそうになったので、今度初段を受審するという他支部の中年の稽古を弄って遊んだ。もっとも、私がやると、初めは審査の型のチェックをするけど、すぐオタクな遊びに移ってしまう。半身半立ち四方投げの型動作における問題点など指摘していたのに、いつの間にか肘の小手返し固着問題になっていて、型を分析しだし、初動の時は小手返し固着じゃなくて、逆肘でさ、相手がケロッと浮いちゃうわけよ、そこでふわりとドラえもんの手を相手の小手に嵌めてフフフンって感じで振りかぶれば、あな面白や、ウキッとした相手が次の瞬間はゲゲッと仰け反ってるわけだ、ケケケケケ、面白いねぇ、とやりだす。
 そうなると、もう誰も止められない。小手の合気技に見られる肘関節の三態をあらゆる型をサンプルとして自演販売し、収拾がつかなくなる。三態バリエーションのパフォーマンスを見せると、初めは次期黒帯の相手をしていた先輩黒帯のおやじが瞳をキラキラさせて、ここはこうですかッと言い出し、主役である次期受審者などそっちのけで興奮し、審査用稽古など吹っ飛んでしまう。次期受審者は不安そうな眼差しでわれわれを見つめるが、私は「審査型なんかどうでも良いからさ、一緒に遊ぼうぜ。どうせ合格なんだから、そんなつまんない型より技を稽古した方が良いじゃん」と誘う。
 というわけで、いつも私が参戦すると審査用型稽古は吹っ飛んでしまうのである。

 主に教えたかったのは四方投げの基本物理だったが、あまり伝えられなかった気がする。どの技でも同じだけど、相手と接した瞬間、相手が崩れていないと次の関節技には進めない。という事実が型稽古では無視されていることが多く、四方投げでも仕手は相手を崩す必要を忘れて、自分が仕掛けたい技に夢中になり、自分の体の、それも末端の操作にばかり意識を集め、相手の状態は眼中にないことが多い。これは武術にはあり得ないことで、相手は一人とは限らず周囲に複数いたりすることもあるので、目付とかも問題になる。末端に意識が集中すると、四方投げするためにどうやって相手の小手を掴むとか、手先をどう動かすとかばかり気になって、目もそこを注視してしまう。これはマズい。
 「手先をグリグリ見ないでさ、もうちょっと周りも気にした方が良いよね」と言ったりするが、「ハイッ」と応え、血走った目で手先を見つめ続けることが多い。
 体の感覚ができてくると、相手の動きは見なくても、どこか一点が触れていればわかる。というか、一体化してしまえば、相手の動きは見る必要もなくなる。そんな例を一カ条や二カ条で見せると、いよいよ稽古生さんは楽しくなるようで、手先の使い方などを注視してしまう。そんなにグリグリ見つめなくても良いんだってば、と思うのに。

 技は難しいのが当然だけど、いちばん感じるのは姿勢に関して無自覚かな、ということ。私はいつも姿勢の大事を執拗に語るが、姿勢が改善された人は二人しか目にしていない。そのくらい自分の姿勢というのは、見えないものらしい。理由はなんとなくわかる。自重心の感覚が無いためだろう、と。
 最近は体幹トレーニングとか言われて流行っているけど、たぶん自重心感覚が掴めないと役に立たないだろう。日本の武術の稽古はそういう点で先駆的で、型稽古は体幹トレーニングの元祖と言っても良いだろうと思う。ゆっくり正確に型をなぞれば、自ずと自重心感覚が拓かれる。茶道や書の伝統的稽古に通じそうな合理性がある。
 またもこういう話は終わりにくくなり、就眠すべき刻限をとっくに過ぎてしまった。
 もはや、これまで。続かないと思うが、またそのうち。