十五分二十秒の祭り。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 ドラマなどで幸せな家庭や不幸に見舞われた家庭の玄関扉を開くと、犬が飛びだしてくる、という光景をたまに目にする。犬が慌てて駈け寄ってくるという行為が、吉報か凶報を運ぶという印象があるのだろうか。嬉々とした眼差しで尻尾を振り回してくれば吉、血走った眼を瞠いてなにかを訴えるようであれば凶、か。シーザーはそういうことをせず、吉であれ凶であれ、のらりくらりしていたが。
 次女の家の玄関扉を開くと、いきなり飛びだしてきたのは犬ではなく、孫だった。その激しい動作は、彼女にとっての吉を顕しているようだったが、老夫婦にとっては吉凶占いがたく、勢いに気圧され後ずさりするばかりであった。三歳児のエネルギーはなんとも凄まじい。
 朝、次女の家へ行くという妻が、私にも行かないかと問いかけた。昨夜も口にしていたが、うやむやにしてあった。孫見に行くのは良いけれど、肉体疲労を募らせること必至なので、三連休の中日ではあったが、迷わずにいられない。気が滅入ることが続き、幾ら休んでも身も心もリセットされることがない。明日も休みだけれど、どうしたものだろう、と悩んだ。
 すると妻が、孫の面倒を見るのはたいへんだから来て欲しいと本音を漏らした。娘の出産と自身の問題も重なっているから、なるほど気疲れが酷いのだろうと思い、孫の標的になる覚悟を決め、同道することにしたのだった。

 しかし、今日の孫が選択した遊びは粘土でラーメンを作ることであり、もちろん遊び相手に指名されたのは久しぶりに顔を見せた爺さんだったが、麺作りならば任せておけと孫を押しのけ、心太突きのような玩具を独占して粘土を麺状に突きだしては得意満面になっていた。心太突きのような玩具は、幼女の力では上手く使えなかったため、孫も玩具は爺さんに任せ、突き出される麺を次々と奪っては、得体の知れない料理の製造に夢中になっていた。創作料理が一つできる度に母や婆さんの元へ運び、「どうぞ、たべて」と振る舞った。
 二時間もそんな遊びを続けた後、孫はおやつの時間を迎え、粘土の料理を放りだし、台所から小さな箱を運んできた。
 「たのしいおまつりをつくるから」と母に渡した。箱を受け取った母である次女は、じゃあ、椅子に座りなさいと、娘である孫を食卓の幼児専用椅子に着かせた。
 たのしいおまつりとはどんなお菓子だろう、と興味が湧いたので私も心太突きみたいなラーメン製造器を放りだし、孫の前の椅子に腰掛けた。
 「じいじ、いま、おまつりをつくるから、てつだってね」
 孫が私を正面から見つめていった。本気の眼差しだった。
 「わかった。手伝うよ」
 「うん、そうしてね」
 「うん、そうする」
 しかし、おまつりは主に母である娘の手によって製造された。
 まず作られたのは、リンゴ飴だった。リンゴ飴の素という粉を龍角散の匙二杯分くらいの水で溶き、パッケージに付属していたプラスチックの四角い小さなスプーンで捏ねると紅色の寒天状になった。それをやはりパッケージに同梱されていたリンゴ飴の型に流しこんだ。しばらく放置しておけば固まるらしかった。
 次に作られたのはポテトだった。ポテトの素という粉を龍角散の匙一杯分くらいの水で溶き、四角いスプーンで捏ね、底が凸凹の器に平たく圧しつけた。それも、しばらく放置しておけば固まるのだろうと思った。

 なんだか愉しそうなので、私はつい手を出した。最初に着手したのは、リンゴ飴の素が捏ねた器に少し残っていたので、それを爪楊枝で刮ぎ取り、型に流しこんだリンゴ飴の上に盛り上げる作業だった。ケチなので、器に残滓などあると放っておけないのである。残滓を盛り上げると、リンゴ飴はさらにリンゴ飴らしい体裁になった。
 もちろん、ポテトも無視できなかった。母である娘が捏ねたものを見ると、まだ粉っぽくボソボソしていた。そのままではポテトと言うよりも、クッキーみたいな感じになりそうで看過できなかった。ポテトの素を底に圧しつけた器を手元に引き寄せ、四角いスプーンの先に耳かき一杯ほどの水をとってポテトの素に振りかけ、もう一度捏ね直した。充分に粉っぽさがなくなると、再び凸凹した器の底に圧しつけた。
 しかし、あまり老人が手を出しても良くないと思い、チョコバナナともう一つあったなにかには目をつむっておいた。それらは簡単そうなので、出来上がりに問題は無いだろうと。
 母である娘がチョコバナナを作るあいだにポテトの素が少し落ち着いてきたようなので、四角いスプーンを使って凹の部分を切り、シュリンクポテトの形に仕上げた。まだ完全に固まってはいなかったが、それらしい形状になった。
 すると、それを目にした孫が椅子を飛び降り、ポテトのカップを持ってきて、一本ずつ挿しこんだ。星条旗の柄のカップで、まだ柔らかいままだったが、ハンバーガー屋で売っているフライドポテトさながらの見かけになった。もっともサイズは二十分の一くらいだったが。
 リンゴ飴は固まってもカチカチにはならず、飴ではなく硬めのゼリーであり、グミとも呼べないものだったが、母である次女の娘である孫は爪楊枝を差し、型から取り外すと、確かに見てくれだけはリンゴ飴のようだったので上機嫌だった。
 そうして、リンゴ飴、フライドポテト、チョコバナナ、それともう一つなにかわからないが、長さ一・五センチほどのカロリーメイトみたいなものに塵のようなカラフルなチョコチップを塗したお菓子が出来上がった。作り始めてから、十五分も経っていただろうか。
 長い時間かけて作った四種類のお菓子を、孫はパッケージに印刷されていたおまつりの屋台のような位置に丁寧に並べた。
 「できたぁー」と歓喜の声を上げた。
 「さあ、食べよ」と宣言した。
 んー、と笑みつつ、次々と、口へ運んだ。
 リンゴ飴、フライドポテト、チョコバナナ、チョコチップを塗したカロリーメイトのようなもの。パクパクパクパク口へ放りこみ、瞬く間に平らげた。
 二十秒もかからず、おまつりの屋台は売り切れ状態になった。
 孫は嬉しそうだったが、ちょっぴり、物足りなそうな顔をした。

 孫のおまつりは、十五分と二十秒で、終わった。
 子供には愉しい仕掛けだけど、三歳児が作るには難しすぎる。六歳七歳なら作れそうだが、おやつにしては少量すぎる。仕掛けを購入する製品ではあるけれど、おやつとして位置づけるのは無理があるよな、と感じた。価格を知らないのでそれが適正価格と言えるのかはわからないが、あまりにも食べ応えがなさ過ぎる気がした。といって、作る悦びを満喫できるほどの仕掛けとも言えない。子供用だから子供だましで当然だが、自分の力で作り上げて食べたいと願って購入した子供だったなら、失敗すればがっかりするし、上手く作れてもパクッとやれば水泡に帰すという感じでは、満たされない思いが残るのではないだろうか、と私は思案に暮れた。コスト計算も必要だけど、もっと重要なことが、どんな商品にもある。
 カップヌードルが普及しだしたのは、私が中学生のころで、高校生のころには三時のおやつ的間食材として放課後の高校生の定番食になった。授業が終わると、多くの少年が近くの乾物屋へ走り、カップヌードルを買った。店のおばちゃんは大型のポットをいつも満タンにしておかなければならなかった。今ではカップヌードルは食事のようだが、あの頃の私たちにとって食事としては物足らず、菓子類のような存在だった。おやつとしては十二分であり、これから部活に移ろうとする胃袋に頃合いの量だった。
 あの頃の胃袋の感覚から考えても、今日、孫が口にしたおまつりのおやつは、少なすぎると感じられてならない。あの量では、食道も胃も食物が通過し入ってきたと感じられもしないのではないか。もちろん、縁日の屋台で売られている物を模して愉しむという情緒的食品だから、購入者は食欲を満足させるわけではなく、シチュエーションや気分を味わう物だから量など問題ではないだろうが、どうにも、少量すぎると思われてならない。
 私がいやしないせいだろうか。
 などと、超深刻な問題について考え続けた三連休中日であった。
 今夜は、近頃激増している隔日記の脱字問題について記すつもりだったが、孫のおやつに衝撃を受けたので変わったのだった。