何年ぶりの映画観賞だったろうか。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 虚脱感甚だしく、終日怠惰を尽くした。ここまでなにもやらずに過ごしたのは一年ぶりだろうか。午前はボーッとして旧型マッサージ椅子の上でゆらゆら。昼にはこれではいけないと改心し、お昼ゴハンを食べた。ラーメンを作ろうかと思ったけれど、面倒臭いので仕込んであった雑煮にした。
 そして午後、満腹の体をまたマッサージ椅子に横たえてうたた寝した。
 ふと気がつくと、窓際のソファの上で娘もうたた寝していた。
 このままではいけないッと私は跳ね起きた。
 マッサージ椅子を飛び降りると、ソファを蹴立てて娘を起こした。
 「寝るんじゃない、なんかしろッ」と。
 ハッと覚醒した娘は慌て、「あッ、初売りに行くのを忘れていたッ」と飛び起き、すぐさま着替えると隣の大きい町へ走って行った。
 私が言いたかったのはそういうことではなかったが、初売りが気になっていたらしい。
 

 妻は明日まで仕事なので、午後は一人になった。
 閑かな午後だった。町は寝静まっているかのようだった。表の通りに人影がない。灯油売りのトラックも豆腐屋もいない。竿竹屋も廃品回収屋もいない。再びマッサージ椅子に横たわって目にするのは、西の窓の外でただそればかり繚乱を見せつけている山茶花の蜜を吸いに来るメジロたちの姿だけだった。
 このままではいけない、と思った。
 なにかしたかった。
 が、なにもやる気になれなかった。
 疲れていた。酒でも呑みたかったが、酒を呑むのも面倒臭かった。
 たまにはなにもしないで過ごすのも良いじゃないかと思った。が、なにもせずにいるのには耐えられそうになかった。
 なにもやる気にならないし怠いのに、なにかせずにいられない気がしていた。
 なにをするべきか?マッサージ椅子の上で、気ばかりが焦っていた。
 

 なにも思いつかないので、せめて視聴覚だけでもなにか働かせようと、テレビを点けてみた。
 相も変わらず、面白くない番組をやっていた。見たくもないけれど妻子が点けているディスプレーに映るのは、毎日目にする変わり映えのしないクソ面白くもない芸人という名の芸無しリアクションタレントばかり。リアクションも芸かと思う。そんなもの、虫のリアクションの方が余程面白い。
 リモコンのチャンネルボタンを次々押した。何処も似たような感興の湧かない映像と音声ばかり垂れ流す。おいおい、もう二十一世紀になって何年経ったんだよ、と思った。十八年も経てば、人間ですら成人と呼ばれ、日本では選挙権すら与えられるようになってしまったというのに、二十世紀を牽引してきたはずのメディアがこの為体かよ、と。
 地上波がデジタルされてからテレビを観ないことが加速度的に増加し、いまではリモコンのなんの数字を押せばなに放送になるのかすらわからない。でたらめにチャンネルボタンを押したが、どの放送局なのかまったくわかりはしなかった。新年ものの娯楽番組ほどくだらないものはないので、すべて一秒以内にスルーした。お笑い芸人とかいうものの顔は見たくないし、声も聞きたくない。まだ発情期の猫の赤子じみた鳴き声でも耳にする方がマシである。
 なにか、そういうものではない、つまらなくても退屈でも良いから、押しつけがましくない、自由意志を阻害しない、いまとなっては僅少な、なにかをやっていないものか、と何度もリモコンのチャンネルボタンを押し続けた。
 なにもかも、つまらなくて退屈で押しつけがましい気がした。
 が、ボタンを何周かさせたとき、どうにも下らなそうな外国のドラマか映画らしい画像があることに気がつき、リモコンを離した。
 アメリカ映画らしかった。メチャクチャB級で、こんなもの映画にする価値なんてないだろ、と思ったが、他の日本の放送局が流す番組よりはマシなので、マッサージしながら眺めた。スクリプトを解読しても、なにをやっているのか、意味がわからなかった。最低の脚本だなと思った。アメリカではこんなものに予算を使うのか、と驚いた。
 が、日本の番組を目にするよりは気楽だから、眺め続けた。
 

 映画が終わる少し前に娘が帰宅した。
 「初売りに行ったのか」
 「うん、でも、あまり良いのがなさそうだから、これだけ」
 娘がどこかのブティックのものみたいな大きな紙袋を示した。そして、「なにを見てるの」とテレビ画面を覗き、「あ、○○××△△じゃない」といった。私にはなんといったのか聞き取れなかった。が、娘は、その映画を観たことがあるらしかった。
 「これは最悪だな。なにをやっているんだかさっぱりわからない」
 そう私が言うと、娘は笑った。
 「アハハ、わたしも見たけど、なにがなんだかわからなかった」
 娘にもわからない映画を私は目にしているらしい、とわかって、安心した。
 

 意味不明の映画が終わり少しすると、別の映画が始まった。
 身体障害を負った息子と父親がトライアスロンに挑戦する物語だった。やはりスクリプトも編集もイマイチだったが、わかりやす過ぎるストーリーに感動した。すべてが想定内であり、目にしたときから終わりまで予測を裏切ることがなかった。
 つまらない物語だ、と思いながら、最後まで見た。流れも、結末もわかりきっていたのに、見続けた。
 つまらない映画だったが、最後まで見続けたのだ。
 無性に映画を見続けたかったので、うちにあるDVDを漁ると『カッコーの巣の上で』があり、DVDプレーヤーに挿入した。物語よりも、ニコルソンの演技が見たかったのかも知れない。これも物語としてはB級だけど、確かアカデミー賞でかなり評価されたのではなかったか。
 DVDを見終えると七時を過ぎていて、腹が空いていた。娘にも腹が空いたか問うと、空いたというので晩ゴハンにした。昨日余った自家製マスの押し寿司を頬ばりつつ、またテレビを点けると、『スティーブ・ジョブズ』をやっていた。つまらなそうだったが、眺めた。
 つまらなかった。
 なんでTRONにはまったく触れないんだろう?と思った。
 これじゃ、日本文学じゃないか、なんて感じた。