恐怖録。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 大震災の影響で仕事も停滞してしまい、じっと被災地の情報を眺めたり、町の様子を観察したりして暮らす日々。明日は再始動するが、電車の運行もまだ完全復旧ではない。
 私的に今いちばん気がかりなのは、21日の店じまい。閉店後すみやかに店舗を元に戻して明け渡さないといけないが、レンタカーが借りられない。震災の影響でレンタカー店も予約休止。いよいよとなれば什器をすべて解体して自家用車で運ぶしかないが、何往復することになるか、もう三分の二も入っていないガソリンが保つかどうか、と心許ない。けれど、愚痴ってばかりもいられない。やらなければならないことは、やらなければ何も終わらず、次も始まらない。

 などと思いつつ、この4日間に感じた恐怖を記録しておこう。

 11日午後3時前。
 雑司ヶ谷で足止めされ、まずは家族の安否確認し、居合わせた人と情報交換。その夜は帰宅難民として池袋に留まった。留意していたのは、急がないこと、余計なことはしないこと。思いの外、町は平静なのであまり怖くなかった。
 翌12日。朝早く帰宅し、被災地にいる人たちの情報収集。これはかなり手間取った。携帯も電話よりはメールの方が幾らか通りがよいことがわかった。情報収集がもっとも早かったのは次女だった。女子高生の情報ネットワークはやはり凄いものだと感心した。仙台にいる義弟一家の安否を確認したのも次女で、あちらの一歳年下の長女とメールのやりとりをしていたらしい。が、やはり携帯の電源が乏しかったのだろう、短い無事を報せるひと言だけのメールが届けられただけで、その後はまた音信不通。
 福島原発の緊急事態は朝刊で知った。東電はこの夕方、輪番停電の可能性を示唆した。
 13日。テレビやネット上では雑多な情報が飛び交っていたので、あまり触れないようにし、必要と感じられる時だけ確認した。計画停電の予報が出され買いだめが起きていると知らされたのは、スーパーへ買い物に行った妻子からだった。とても買えそうにないから、後で行ってきて欲しいと頼まれた。
 買おうとしていたのは、食パン一斤と卵ひとパックと卯の花とほうれん草一束。
 とりあえず今日ないと困るわけでもないから、明日になれば少しは落ちついているだろうと、買い物には行かなかった。まだ余震はあるけれど、東京は比較的穏やかで気候も悪くないのだから。
 14日。本業の残務を片づけてから、スーパーへ。食パンはなければわれわれは食べなくて良いのだが、シーザーがおやつとして好むので、耳をあげる。私も耳を好むけれど、犬は食べるくらいしか楽しみがないので譲る。去勢されたペットには食べる楽しみくらいは温存してあげたい。
 店舗に入ると、食パンはない。調理パンも菓子パンも消えていた。
 えっ!と驚愕した。なぜ、そんなものを買い漁るんだろう?パンを備蓄して何をする気なんだろう???、と。
 インスタントラーメンも電池もトイレットペーパーや飲料も買う必要は感じていなかったので、空になった売り場を目にして怖くなった。メーカーの在庫がなくなったら、被災地に届けるものが足りなくなるだろうに。とりあえず、売れ残っていた卵ひとパックとほうれん草だけ買った。
 15日。輪番停電を実施するらしいので、家にある予備照明具を点検すると、懐中電灯がほとんど壊れていた。野外生活用のガスランプ、ろうそくランプ、大型懐中電灯は無事だった。ガスランプの火屋を作り、部屋に必要とされる灯りはあるが、深夜にひとりで移動する際の灯りが欲しい。小さなランプがひとつあったが、できれば家族一人ひとり持たせたい。
 もしかするとと思って、駅前商店街の100円ショップへ行ってみた。と、あった。携帯用照明器具がごっそり残されていた。懐中電灯コーナーはすべて売り切れだけど、ライトを仕込んだライターはほとんど手つかず。ライト付ライターをふたつ買った。
 帰りがけパン屋に寄ってみたが全滅。パン屋のおやじと今回の事件について意見を交わし、「明日も入荷する?」と問うと、「ああ、毎日入るよ。でも、今日も30分で売り切れたからねぇ」とまんざらでもないような口ぶりだったので怖かった。

 昨日今日、次女は高校生の有志による街頭募金をやった。昨日は一日に百何十万円か集まり、日本赤十字に送ったそうだ。私はその手の活動にちょっと詳しいので、送付先をしっかり確かめてから参加しろよ、と言った。被災地を救うには金が要るので重要な活動だが、こういう時に蠢くろくでなしが必ずでる。ほんとうは、私は発生直後の募金活動は止めるべきだと考えている。金は要るけれど、救出活動時には要らない。むしろ食品や防寒具などの方が重要なのだから、それらの生産者が充分に供給できる体制を確保することが、被災していないものの務めだろう。買い漁るなど狂気の沙汰だと気づかないらしいのが怖い。
 有名人のみなさんも善意の街頭募金を始めたらしいが、まだやらないで欲しいと私は思う。そこら中でやられてしまうと、いくら募金してもきりがない。こんな時にやっていれば、募金しないと気が咎める人も少なくないのではないか。私は怖くて町を歩きたくなくなる。何度も募金せざるを得なくなる人の気持ちを考えるなら、そういう活動を軽々にやるべきではないとしか思えない。もう少し落ちついてからやっても復興には間に合うのだから、今やる必要はないだろう。子どもたちが自分たちの頭で一生けんめい考えてやることなら、やれば良いと思うけれど、今すぐ金が必要ではないだろう。応急に必要なら国が出せばいいのだから。福祉の世界には募金詐欺が非常に多いので、こういうタイミングでの募金は怖いと感じる。金が必要になるのは、国や行政の動きが止まってからなのだ。募金活動をやるなら、救出活動がある程度先が見えてからの方が良いのではないか。



 この4日間、町を眺めて感じたのは、やはり、被災地第一で物事を考えなければなぁ、ということ。
 店に並んでいるものは売っているのだから買えばいいけれど、供給は被災地方面を優先するべきだから、たいした被害のない地域に向かわせちゃ話にならない。ガソリンもどうしても必要な人が給油できないのでは、傷口に辛子をなすりつけるようで怖い。
 そんなことより、節電が最優先なので、電熱系道具は最低限の使用にするよう通達した。PCや蛍光灯の消費は少ないが、電熱系は大きいだろう。仕事は淡々とやらなければ。日本経済をこれ以上沈下させるとまずいから、被災していないものの務めだろう。子どもたちにパニクる姿を見せないことも大人の責務だが、もう子どもたちは見てしまった。うちの娘たちは私から買い漁りに走るなと言い聞かせられていたので、買い漁る人々の姿を見て呆れたようだ。気楽な社会生活を送らせる意味ではまずい教育かもしれないが、別に後悔はない。
 そもそもこの件については、政府が節電を義務づけするべきだろう。少々の不便などみんな我慢するに決まっているのだから。やらないのは経済の沈下が怖いからかも知れないが、そんなもの被爆だのメルトダウンだのより怖くない。
 また妻子は放射能について、「お味噌やとろろ昆布や若布が良いって言うから、毎日、食べなきゃ」と手を取り合って話していたので、そういう根拠のない話を信じるなと叱りつけた。まさか、うがい薬を飲んでいる人はいないだろうな、と怖くなる。

 昨日は、物見胡散で駅の様子も見てきた。
 電車が止まり、踏切もスルー。車はかなり快適だろう。人気ない駅舎を眺めながら、電車ももっとシンプルなダイヤに戻せばいいのに、混雑はするだろうけど、混乱はしにくいだろうにと思った。ニーズがあるから鉄道会社もダイヤを複雑にして、速度を競わなければならないのだろうが、スローダウンしてしまえばなにも困ることはない。ものみな過剰になり高速化してしまった現代が、今回の騒動で見直される時が来ると良いのだが。

 喜びも苦しみも、多くは時が鎮めていくけれど、時はそれを忘れさせてしまう。
 こんな記録も、しばらくすれば忘れてしまう。忘却は救いだから。
 忘れて繰り返すのが歴史なのか、と思うとまた怖くなる。
 せめて、今この瞬間の思いは、記録に留めておかないと怖い。
 忘れてはならないことはなんなのか、それだけを脳裡の奥に留めるためにも。