最後の、子供と母親の話はとても興味深かったです。 | ある名誉教授のつぶやき

ある名誉教授のつぶやき

大学を定年退職した側から見た大学生活など

最後の、子供と母親の話はとても興味深かったです。

これは、子供が何歳頃までなのでしょうか。

母親ではなく父親が主夫(変換で出て驚きました)として子育てするという形も広がってきていますが、主夫にたいしても同じことがおこるのでしょうかね。

哲学の分野からは離れてしまいますが、面白い話でした。


→実は、哲学の話から全然離れていないんですけどね。
何歳頃までというのは微妙で、例えば、次に出てくる「社会的微笑反応」は生後2-3カ月といわれるしね。


生後2-3カ月の幼児には、いわゆる「社会的微笑反応」と呼ばれる現象が見られる。新生児の微笑は、単純な生理的な快感状態に随伴する筋神経反射の一つであると、通常、見なされている。それに対して、社会的微笑反応は、他人の顔(の一部)、声、他人によって触れられること、等によって生起する、対人的な反応である(ただし、「人見知り」反応のような、他者を様々に弁別して反応しているわけではない)。このとき、幼児は、さながら、他者の自己への「表情」等による働きかけを、魔術的な方法で、「自己」の身体に同化させているかの如くである。我々としては、ここに、遠心化作用の初源的な現れを認めることができるように思う。幼児は、「自己」が「外部」から観察している他者の表情を、言わば自己の身体の「内部」の反応の如く、「錯認」し、それを「自己」の身体の方に宿らせてしまうであろう。(大澤真幸 『身体の比較社会学 I』 p.46)

ただし、「身体外知覚」に関しては、かなり後までありえますね。

身体外知覚とは、「自己の身体」の上に与えられた刺戟を外的な事物に帰属させて覚知してしまったり、逆に外的事物に与えられた「刺戟」を「自己の身体」に帰属させて覚知してしまうことである。このような反応は、分裂病者にはしばしば見られ、幼児にあってもかなり成長するまで頻繁に現れる。(同書 p.32)

その哲学的内容については、次のようになるわけ。

乳幼児に見られる共鳴的な同調反応やそれに類する諸反応においては、「乳幼児の身体」と<他者>の身体が、一つの志向作用を共有しつつ世界に関与するものとして、一種の間身体的な連鎖を樹立していると、考えるのが最も適当である、ということである。(同書 p.52)

 幼児の他者体験に関連して、次のような生理学的事実は、銘記されてよい。生後間もない新生児は、母親が舌を突き出したり、口をパクパク動かすと、それに対応して自らも舌や口を同じように動かすという(このような反応は、生後2-3週間まで見られ、その後、消失する)。この事実は、新生児の段階で、母子は情報的なカップリングを構成していることを、暗示している。つまり、幼児の身体は、その皮膚的な界面を越えた、他者(この場合は特に母親)の身体をも含み込む間身体的な系を単位とした全体の中での部分として、活動していることを、暗示している。石井威望(たけもち)等は、このようなカップリングは、胎児期に、母親の声を聞くなどの体験を通じて形成されたと仮説している。さらに、石井は、ペンギンの母子が情報的なカップリングをなしている例を引いて、人間の母子に似たようなことがあったとしても、驚くにあたらないということを、示唆している。(同書 p.55)

ワロンの「情動的段階 stade émotionnel」
ワロンは、これについて、「子どもはこの段階において周囲の身近なヒトびとと非常に密接に結びついていて、その他者と自分を区別できないほど」であり、さながら「子どものパーソナリティが、自分に触れるすべてのもののなかに拡散してしまっているように見え」る、と述べている。ワロンによれば、この段階の幼児は、「事物」を含む外界の全体を、自身と接続した一種の身体として感受しているのである。たとえば、この時期には「社会的微笑反応」が見られる。(同書 p.107)