徳川吉宗の将軍在職期間は1716年から1745年までの約30年(厳密には29年)。
『暴れん坊将軍』は1978年から2008年のスペシャル版まで足掛け30年放送された。
ただ、2005年から2007年までの休止期間を省くと27年になる。
1990年の第3部第97話はスペシャルで「将軍琉球へ渡る 天下分け目の決闘」。
第4部では養生所の医者が足立弦石で、お葉は見習いだったようだ。第6部では野々村恭介。
龍虎は第1部と第2部に登場し、第5部第33話「鳶口一本、炎の男道!」でも再登場。龍虎は徳田新之助について「新さんはただのお旗本じゃねえな」と思うようになった。
第8部から大岡忠相の役が田村亮。
第9部第1話で雲切仁左衛門(雲霧仁左衛門)が登場し、この事件を切っ掛けに吉宗は連座制を緩和。
第9部の第12話「吉宗危機一髪! 美しき婚約者の献身」は確か、吉宗が崖から落ちそうになる話だったか。
第9部では第16話「大奥の改革 上様、お恨みいたします!」で大奥の人員削減が描かれ、第19話「江戸壊滅の危機! すい星激突の恐怖」で吉宗が西川如見を招聘。
1716┓┏1978┬第1部
1717┃┃1979│ … 1717年、大岡忠相を南町奉行に抜擢
1718┃┃1980│ … 1718年、水戸綱條没す(第8部に登場)
1719┃┃1981│ … 1719年、吉宗が西川如見を招聘(第9部)
1720┃┃1982┘
1721┃┃1983┬第2部 … 1721年、目安箱設置。山下幸内が投書(第1部、第7部)
1722┃┃1984│
1723┃┃1985│
1724┃┃1986│ … 1724年、西川如見没す
1725┃┃1987┘
1726┃┃1988┬第3部
1727┃┃1989│
1728┃┃1990┘
1729┃┃1991┬第4部
1730┣┫1992┘ ………… 1730年末、徳川宗春が尾張藩主に
1731┃┃1993┬第5部
1732┃┃1994┘┬第6部
1733┃┃1995_│
1734┃┃1996─┘┬第7部
1735┃┃1997──┘┬第8部(水戸綱條登場、1718年没。大岡忠相役が田村亮に)
1736┃┃1998───┘┬第9部 … 1736年、大岡忠相が寺社奉行に
1737┃┃1999────┘(第9部で西川如見登場、最終回は宗春失脚2年前)
1738┃┃2000─第10部(大岡忠相の姪・千奈津が登場)
1739┃┃2001─スペシャル~第11部 …… 1739年、宗春失脚
1740┃┃2002─第12部
1741┃┃2003─スペシャル
1742┃┃2004─スペシャル
1743┃┃2005┬休止期間
1744┃┃2006│
1745┛┃2007┘ …………… 1745年、吉宗が将軍の座を家重に譲る
___┗2008─スペシャル
____吉宗の年齢
1716年_33歳(数え年) 8代将軍に就任
1717年_34歳 大岡忠相を南町奉行に抜擢
1718年_35歳 水戸綱條没(第8部に登場)
1719年_36歳 西川如見を招聘(第9部に登場、宗春はすでに尾張藩主?)
1720年_37歳 いろは47組の火消しが成立
1721年_38歳 山下幸内が目安箱に幕府を批判する投書(第1部、第7部)
1722年_39歳
1723年_40歳
1724年_41歳
1725年_42歳
1726年_43歳
1727年_44歳
1728年_45歳
1729年_46歳
1730年_47歳 尾張宗春が藩主に
1731年_48歳 長州藩主・毛利長門守吉元没(第11部に登場、1706年から藩主)
1732年_49歳
1733年_50歳
1734年_51歳
1735年_52歳
1736年_53歳 大岡忠相が寺社奉行に
1737年_54歳 吉宗と宗春の最終対決(第9部、劇中で大岡は南町奉行)
1738年_55歳
1739年_56歳 宗春失脚
1740年_57歳
1741年_58歳
1742年_59歳
1743年_60歳
1744年_61歳
1745年_62歳 吉宗が将軍の座から退く
1746年_63歳
1747年_64歳 吉宗が西川如見の息子・正休を天文方に任命?
大岡忠相は1736年8月に寺社奉行になっているが、『暴れん坊将軍』では常に南町奉行。
また宗春が尾張藩主になったのは1730年末なので、番組における「忠相が南町奉行で宗春が尾張藩主」という設定が成立したのは、江戸時代では1731年初めから1736年までの6年間である。
第9部最終回で吉宗と宗春の「最後の対決」が描かれ、劇中ではこの2年後に宗春が失脚したことになっているので、1739年の宗春失脚から2年前に1737年となり、この表で第9部後半と1737年が一致する。
ただ、このとき西川如見はすでに故人であり、大岡忠相も寺社奉行になっていたはずだ。
『暴れん坊将軍』第8部で吉宗の許嫁だった鶴姫は、水戸藩主・徳川綱條と江戸の町で会ったことはあるが、西川如見が江戸に来たときはすでに鶴姫は吉宗のそばから消えていた。綱條は1718年没で、西川如見が吉宗に呼ばれたは1719年であるから、ドラマの鶴姫が吉宗の許嫁だったのは遅くとも1718年までで、1719年には婚約は解消していたことになる。
なお、この時期、吉宗には梅(深心院)という側室がいたはずである。
吉宗が城の外で綱條と会ったのは、かつて源六と名乗っていたころの吉宗が紀州で水戸光圀一行と出会ったときから約20年後のことであった。
└→〔『暴れん坊将軍』の彗星落下の影響 | 虚実歴史のブログ〕
横内正が『暴れん坊将軍』の「初代」大岡忠相を演じたのは1978年の第1部から1997年の第7部まで。
ほぼ20年(厳密には19年)で、忠相が町奉行だった1717年から1736年までの長さに匹敵する。
一方、横内正が『水戸黄門』で格之進を演じたのは1969年から1978年まででほぼ10年(厳密には9年)だ。光圀が隠居していた1690年から1700年までの10年とほぼ重なる。
└→補足
徳川吉宗は1684年生まれで、1716年に数え年33歳で将軍になった。米将軍が将軍の座を家重に譲ったのは29年後の1745年だから吉宗は数え年62歳。「暴れん坊将軍」は1978年から2008年まで足掛30年続いたので丁度いい時期に終わった。
「ドラマスペシャル 暴れん坊将軍」
辰五郎役が堺正章、加納五郎左衛門役が伊東四朗。
土佐藩主の名前が「豊春」だが、歴代土佐藩主の名前を調べてもそんな名は見当たらない。
2008年放送の最終回SPか?
17:47 - 2014年12月28日:Twitterで表示された日時
享保元年(1716)8月13日は、徳川吉宗が将軍宣下を受け、第8代将軍になった日です。画像は、就任に先立ち7月18日に下された将軍宣下の宣旨。権大納言源朝臣吉宗を征夷大将軍に任ずる旨が記されています。将軍宣下は、京都から勅使が下向し、江戸城において儀式が行われました。
徳川吉宗
權大納言源朝臣吉宗
徳川吉宗が将軍だったのは享保元年から延享2年まで29年間。 『暴れん坊将軍』の放送期間は昭和53年から平成20年まで30年間。
享保の改革
徳川吉宗+享保の改革
徳川光圀+徳川吉宗
吉宗の将軍在職期間:享保元年(1716)~延享2年(1745)、数え年33~62歳
「暴れん坊将軍」TV放送期間:昭和53年(1978)~ 満(24~)25~55歳~
【X→BLOG】
前後一覧
【令和6年霜月】
参照
平成22年BLOG
/『暴れん坊将軍』のドラマでは吉宗が将軍になって何年経過しているのか/
<teacup copy済み>徳川吉宗の将軍在職期間と『暴れん坊将軍』の放送期間対照/
平成23年BLOG
/大河ドラマ『八代将軍吉宗』で描かれた歴史と徳川吉宗の年齢変遷/
『暴れん坊将軍』第9部第28話「江戸城大揺れ!!吉宗ついに結婚か…」
平成27年BLOG
『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』の時間軸上の関係(「大集合」は可能か)
平成28年BLOG





