『西遊記』で孫悟空が釋迦に敗れ、玄奘三蔵と出会うまでの間、人間界は『三国志』の戦乱から続き。
京劇の題材になっているもので「孫悟空大閙天空(Sūn Wù-kōng Dà-nào Tiān-kōng)」がある。孫悟空は、サルはサルでも猿(尾のない ape)でなく猴(尾がある monkey)である。
孫悟空が天界を荒らしまわったあと、天帝が天竺の釋迦に救いを求めた。
1978年に放送された日本テレビ版で釋迦は悟空の前で自分に尊称を使って「わたしは西方極楽世界の釋迦牟尼尊者、南無阿弥陀佛です」と名乗っていた。悟空は「自分は72とおりの変化の術など、各種の妖術を心得たから天帝になっていいはず」という近代的実力主義だったが、釋迦は「万物には与えられた場所がある」と述べ、いわば、出生、先祖の血統を絶対視していた。このあたり、やはり、釋迦はインドの王子であったように見えるが、最終的に釋迦が悟空に与えた立場を考えると、悟空の実力を評価していたのだろう。
有名な「てのひら」のエピソードのあと、釋迦は悟空を五行山に拘束。釋迦は山に「唵嘛呢叭口+迷吽」(下注釋)という真言が書かれた「押さえ札」を貼って孫悟空を封じた。この札は500年たっても暗いところでも光るようで、灯台のような便利なもの。
この釋迦と悟空の「対決」は歴史上、いつのことか。
釋迦牟尼は紀元前5世紀の人間だが、悟空と会ったときは佛陀(ブッダ)、佛(ほとけ)であったから、没年後であっても不思議はない。
悟空は500年間、五行山に拘束され、助けられたのは玄奘が経を取る旅に出た年。玄奘の旅が始まった年には諸説ある。
平成25年tw
西遊記vs三国志 #ルパンVSコナンにあやかって見たい版権クロスオーバー言ってけ 孫悟空が釋迦の掌から抜け出せず、五行山に封じ込められて500年間。後漢が滅んで魏・呉・蜀の三国の時代となり、何度かの王朝交代を経て、隋、唐の時代になって三蔵法師が悟空と出会った。
平成26年tw
三蔵が長安から天竺に向かって旅を始めたのが唐朝初期とすると、孫悟空が釋迦の掌から出られなかったのはその500年前なので後漢の時代になる。釋迦は紀元前の人物なので作中の釋迦は佛。
『西遊記』『三国志』
令和3年tw
「西遊記」の筋斗雲が飛ぶ距離の問題ですが、劇中の釈迦の大きさも問題ですね。
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) March 28, 2021
孫悟空と釈迦の「対決」は唐代初期の三蔵法師の旅から500年前なので後漢の時代です。人間・釈迦は紀元前に入滅しており、「西遊記」の釈迦はホトケです。https://t.co/l589fee1oT
/TWEET(1)/TWEET(2)/TWEET(3)/TWEET(4)/
前後一覧
AmebaBlog>〔令和5年4月〕
注釋
「唵嘛呢叭口+迷吽」
Om-ma-ni-pad-me-humと読まれ、「六字大明呪」と呼ばれる。
岩波文庫の小説では「叭」の次は「咪(=口+米)」でなく「口+迷」であった。なお、日本テレビで夏目昌子が三蔵を演じたドラマでは三蔵が悟空の頭の輪をしめる呪文が「オンマニパドメーム」で、「唵嘛呢叭口+迷吽」または「唵嘛呢叭咪吽」と同じ呪文と思われる
参照
平成20年tw
〔『西遊記』で孫悟空が釋迦に敗れ、玄奘三蔵と出会うまでの間、人間界は『三国志』の戦乱〕
〔世界史(2010年7月~12月)…主に日本史以外、『蒼穹の昴』『99年の愛』『ブッダ』〕
平成23年tw