テレビ欄では「名馬が守った父娘の絆・平塚」(TBS、C.A.L)とある。
第43部で『水戸黄門』が終了となると報道されて最初の本放送。
流鏑馬(やぶさめ)をやっていた武士・松岡左馬之介役はどこかで見たことがあると思ったら堤大二郎で、以前、綱吉を演じていた。
八兵衛がある店でタタミイワシを食べていると、代官の家来が連れていた白い犬が走ってきた。八兵衛はオバケのQ太郎のように犬が苦手らしく、怖がって逃げようとする。しかもタタミイワシを手から離さない。弥七がタタミイワシを離すようにアドバイス。
生類憐みの令が出ているからタタミイワシも違法かと思ったが、犬がタタミイワシを食べているようだから犬の餌には魚などを調理する必要があるだろう。
実際はどうだったのか。
光圀、助、格が松岡の家に厄介になり、八兵衛と楓も合流。八兵衛は料理ができる。
犬のための屋敷が作られることとなり、地蔵が撤去された。縛られた地蔵を見ると『大岡越前』の「しばられ地蔵」を思い出す。テレビでは中野の犬屋敷が紹介されていた。
Y!Japan 生類憐みの令 囲い 元禄
時代劇は「史実」から離れた脚色、世相を反映した風刺のほかに、「史実」に関する新説を視聴者に紹介する場でもあったわけだ。
代官一派が竜王を奪うが助三郎が奪還。その課程で代官おかかえの白い犬が負傷。助三郎が馬の尻を叩いて、代官の乗る竜王を暴走させたことによる。助三郎が馬を早めに奪って乗ればよかったか。代官は松岡を捕縛するが、代官一派はその白い犬を本当は大事に思っておらず、代わりの茶色い犬を入手していた。「憐れみの令」を盾にして庶民を圧迫している権力者は実は犬を自分の私利利欲に利用しているだけで、犬を大事にしているのは庶民だったという話である。
代官は松岡を弓の的にしようとするが助三郎が防ぐ。
格之進と光圀も現れ、いつものパターン。
光圀の説明によると生類憐みの例は、どんな命も大事にする佛の教えによるもので、それを代官が悪用していたらしい。
生類憐みの令は必ずしも悪法でないという解釋を採用したものか。
Entrex(アントレックス)社の『歴史の意外な真相』の158ページで「生類憐れみの令は天下の悪法だったとはいえない!?」とある(この本では送り假名が「憐れみ」で「れ」が入る)。
代官から捨てられた白い犬は弥七によって百姓に預けられた。
流鏑馬(やぶさめ)の場所で毛筆で御祭禮の旗。手書きで「禮」の字体が「ネ+豊」であった。
『水戸黄門』では東野英治郎時代に光圀が綱吉に犬の皮を数枚送った逸話が描かれていたと思う。調べてみると第2部(光圀/東野、助/杉良、格/横内正)の最終回、第33話「お犬さま罷り通る(江戸)」であろうか。
佐野浅夫が演じた時代にも憐みの令に関する青い犬の話があった(1997年4月21日放送の第25部第17話らしい)。
Y!Japan 水戸黄門 青い犬
生類憐みの例が廃止されたのは光圀没後9年、1709年に綱吉が他界した直後であった。
『水戸黄門』の中で光圀がいかに綱吉に意見を言っても、憐みの令そのものは光圀没後も続いたという事実がある。実は光圀の政敵・柳沢吉保も光圀亡きあと、幕政で実験を握り続けたらしい。
ちなみにこの日は海の日であった。
いつもは月曜夜8時は外出中で、四国高松の話などは予約録画していたが、テレビが地デジ対応になったせいで、録画ができなくなった。もちろん、『水戸黄門』を見ていれば松下電器の最新型の録画機の宣傳が観られるので、地デジ対応の録画も機械を買えば可能であるが、まだその予定はない。
だから第1話、第2話は観ていないし、第4話以降も観られないだろう。
第43部のHPで確認。
www.tbs.co.jp/mito/
www.cal-net.co.jp/mito/
第1話は江戸、第2話はやはり江戸の品川、そして第3話の平塚と第4話の真鶴は神奈川にある。
第4話には松村雄基が出るようだ。
今回は綱吉が光圀に伊勢神宮への代参を頼んだが、本音は庶民の暮らしを見てもらうこと。
そうなると生類憐みの令がその本来の趣旨にそって運用されているか確認するのも光圀の役割だったか。
できれば関東地方限定のシリーズも観たかったものだ。
補足
第1話の桑畑清十郎(演:市川段治郎)は播州の武士(おそらく藩士)だったが、度重なるお家騒動で藩が取り潰しとなり、浪人になって5年になるという。
播州とは播磨国で兵庫県西南部。播磨新宮藩は1670年に廃藩となっており、光圀が藩主だった時代で、隠居したときは20年以上経過している。明石藩は1682年に他藩に轉封。これも5年後は1688年で光圀隠居前。平福藩も廃藩の時期が合わない。
平成27年tw
里見黄門の綱吉役:堤大二郎→中村繁之→風間トオル→植草克秀
📅2015年7月1日15:28⌚
令和5年tw
平成中期の「水戸黄門」における元禄時代の「生類憐みの令」に対する解釈がここで明確になっていた。これは悪法ではなく、悪用が問題だった。
老公が「生類憐みの令」についてどう説明したかが重要。
BS-TBS(衛星放送・東京放送)令和5年3月16日夜6時半再放送予定
〔水戸黄門がつまらなくなった理由はなぜだと思いますか? | 生活・身近な話題 | 発言小町 (yomiuri.co.jp)〕
>石坂黄門以降、ちょこちょこ設定が変わりましたよね。直近のメンバーになってからは突然時計の針を逆回転させる設定になったりして…。昔から見ている人にとっては少し興ざめになってしまったんじゃないでしょうか。
〔水戸黄門がつまらなくなった理由はなぜだと思いますか? | 生活・身近な話題 | 発言小町 (yomiuri.co.jp)〕
水戸黄門
>代官が将軍にこびうるために村人が信仰しているお地蔵さまをこわしてお犬様の小屋をつくろうとし、名馬を持っている武士から馬をとりあげようとするお話
>正直こんなセコい敵にわざわざ印籠みせるなんて、田舎の自治会に官房長官がくちだすようなもんだよな。
愛馬・竜王に誇り、鍛錬に励む郷士・松岡左馬之助(堤大二郎)。
— 猛虎の伸助 (@taketora_0520) March 16, 2023
松岡に勝ちたい代官・岡部主水丞(新藤栄作)は竜王を奪い、自分の乗り馬にしようとするも竜王は抵抗して暴れ、岡部は怪我をする。
その責任を問おうと松岡を射殺しようとする。
「生類憐みの令」を利用する岡部に、老公の鉄槌が下る! pic.twitter.com/RtD41crWut
生類憐みの令の真意知ったわ
— あースズ🌞 (@a_suzu1025) March 16, 2023
#水戸黄門
生類憐みの令の真意知ったわ #水戸黄門
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「生類憐みの令」は良い法令で、問題は一部の幕臣や地方政治の権力者が悪用していたことだったという解釈。この回でも憐みの令を悪用していた代官は犬が負傷しても治療せず、犬を大切にしていなかった。
犬公方・徳川綱吉は正保3年1月8日(1646年2月23日)生まれ、宝永6年1月10日(1709年2月19日)没。令和5年までで没後314年。
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) March 16, 2023
水戸黄門・徳川光圀は元禄13年12月6日(1701年1月14日)。令和5年は没後322年。https://t.co/c8gPWKNg2W
生類憐みの令が悪法ではなかったということは、光圀と将軍綱吉または柳沢吉保との対立軸が分かりづらくなったことを意味する。ナショナル劇場の「水戸黄門」が42年で一区切りとなったのは致し方ないだろう。
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) March 16, 2023
BS-TBS
/#元禄レトロ/#平成レトロ/
「水戸黄門」第43部(平成23年)https://t.co/HiDvvyEUxv
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〔令和5年3月〕
関連語句
〔「『水戸黄門』第43部第3話」の検索結果 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史〕
〔水戸黄門 生類憐みの令 - Twitter検索 / Twitter〕
参照
平成23年BLOG
〔『水戸黄門』終了に関して(『水戸黄門』公式HPファンメッセージ)1 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史〕
2011-07-20 15:55:00
/『水戸黄門』における生類憐みの令 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史/
2011-09-16 19:00:00
〔『水戸黄門』第2部第33話「お犬さま罷り通る」の時代設定を検証 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史〕
2011-09-23 23:11:00
平成24年BLOG
水戸黄門』と生類憐みの令関連tw(2012年12月7日~2014年6月24日)
令和5年BLOG