〔Masashi@ColintheMcCrash〕

水戸黄門、終わるとわかって見てるからか、覇気が感じられないな……。光圀は生類憐れみの令には反対で綱吉に犬の皮を送り付けたとか昔伝記で読んだような。

午後8:51 · 2011年7月18日

 
これです > 光圀には生類憐みの令に抗議して犬の毛皮を送ったという逸話を中心に綱吉に直言したという記録がいくつかあるため、水戸黄門の物語中では悪役を割り当てられてしまっている。(徳川綱吉Wikiより)
RT 綱吉はやっぱりイメージ悪いのか?水戸黄門はむしろ犬公方を有名にしたと思う。綱吉へのイメージに関しては忠臣蔵による影響の方が強いのでは?>@sizuku62 今日の綱吉の悪いイメージは水戸黄門が仕掛けた。 #etv…
 
 
@kyojitsurekishi 日本の多くの時代劇では、元禄バブルの後、享保年間に吉宗が改革を行った。これはバブル→引き締めの流れだ。一方、元禄時代は綱吉による生類憐みの令の縛りが民衆を苦しめ、綱吉没後、家宣が憐みの令を廃止。これは縛り(引き締め)→解放という流れであった。
posted at 14:57:08
 

2013年01月01日(火)1 tweetsource

 
@kyojitsurekishi BS-TBS昼12時台「ライバルたちの光芒」で東洲斎写楽と歌川豊国の特集。
t.co/ju2Vrvls


明日(1月2日)は生類憐みの令を巡る水戸光圀と徳川綱吉の対決を描くらしい。
posted at 13:22:52
 

2013年01月02日(水)4 tweetssource

 
@kyojitsurekishi BS-TBSで1月2日、徳川光圀と徳川綱吉の勝負の特集。生類憐みの令のついて。但野正弘(光圀派)vs加来耕来(綱吉派)。
posted at 12:06:25
 

 
@kyojitsurekishi 「ライバルたちの光芒」では1685年、生類憐みの令が出た。なお、生類憐みの令を進めた者たちが反対者粛清など人間の命を粗末にしていたのは皮肉であった。
posted at 12:24:30
 
 

@kyojitsurekishi 「ライバルたちの光芒」では生類憐みの令の理由は「綱吉に跡継ぎができないのは前世の殺生のせい」と僧が進言したから…というのは「知ってるつもり?!」でも言われた説だ。
posted at 12:29:05
 
 

@kyojitsurekishi 光圀が綱吉に「30匹の犬の毛皮」を送ったというのは講談による作り話らしい。生類憐みの令のお陰で「辻斬りをやるカブキモノ」は消えたらしい。
posted at 12:34:31
 

2013年05月02日(木)1 tweetsource

 
@noiehoie 改憲が革命なら革命すればいい。明治憲法の破棄は明治天皇の否定で明治維新の否定だったんだろうか?徳川綱吉は自分の死後も生類憐みの令を残すよう遺言を残したらしいが、家宣は綱吉の葬儀も待たず憐みの令を廃止した。平成の改憲は平成の天皇の下で合法的に進めばいい。
posted at 17:25:20
 

2013年05月23日(木)8 tweetssource

 
posted at 03:06:06
 

 
これなら吉良上野介を「名君」として見直し、浅野内匠頭と大石内蔵助を「犯罪者」とする歴史観もひろめてもよさそうなものだ
posted at 03:16:49
 
 

@syuta_kuji生類憐みの令」という名の法律がある日突然出たのではなく、複数のお触れが続けて出たようで、年号だけ暗記しても余り意味ないと思います。
posted at 03:32:41
 
 

@kyojitsurekishi 江戸時代の生類憐みの令が正しかったのならその令に背いた赤穂浪士四十七士は大犯罪者集団だ。
posted at 03:36:04
 
 

posted at 04:00:24
 
 

posted at 04:10:36
 
 

 
 尾崎豊が歌の中で「授業」や「教科書」をバカにしていたのも、よくわかる。
posted at 04:16:09
 

 
東野英治郎の「水戸黄門」では生類憐みの令は悪法だったが、里見浩太朗主演の時は憐みの令は人でも犬でも命を大事にする為の法で、役人たちが悪用していただけだった
posted at 04:32:12
 

2013年06月01日(土)1 tweetsource

 
@KUSOLAB 渋川春海こと2代目安井算哲が天文方になったのが1685年(「天地明察」)。
ニュートンのプリンキピアが1687年で綱吉の生類憐みの令も大体この時期。
西川如見が吉宗に謁見したのが1719年(「暴れん坊将軍」彗星激突)
高橋景保獄死が1829年(シーボルト事件)。
posted at 10:11:07
 

2013年06月04日(火)2 tweetssource

 
@asahi そう言えば徳川綱吉の生類憐みの令は、以前は悪法とされていたが、今ではよい政治とされているらしい。
posted at 01:05:11
 

 
@syuta_kuji 生類憐みの令が出たのはニュートンの「プリンキピア」と同時期ですか。語呂合わせなんか覚えるのは面倒で、「1687」という数字を直接覚える方が楽ですね。要するに水戸光圀が隠居した1690年から3年前だと思えばいいのです。
posted at 01:07:47
 

2013年06月05日(水)1 tweetsource

 
@mainichiRT もしNHKが水戸光圀を大河ドラマで扱ったら、光圀の少年時代から始まって家光、家綱、綱吉の治世をたどることになるでしょう。島原の乱、由比正雪の乱、伊達騒動、越後騒動、生類憐みの令、松尾芭蕉の旅、光圀による藤井紋太夫刺殺事件が描かれると思います。
posted at 13:54:49
 

2013年10月11日(金)1 tweetsource

 
@kyojitsurekishi 笹野高史は「天地明察」で建部伝内を演じた。大和暦が貞享暦として採用されたのが1684年で翌1685年から施行。ニュートンの「プリンキピア」が出たのは1687年で、当時、日本では綱吉が生類憐みの令を出していた。そして1719年に西川如見が吉宗に謁見
posted at 20:52:12
 

2013年10月18日(金)1 tweetsource

 
posted at 01:45:25
 

2013年10月25日(金)3 tweetssource

東野英治郎の「水戸黄門」第2部第33話「お犬さま罷り通る」で光圀が綱吉に犬の皮を贈る場面がありますよ。
@yamadapansy 水戸黄門こと光圀は、生類憐れみの令に反発して犬の毛皮50匹分を綱吉に送りつけたそうだ。水戸黄門って野蛮でサイテー。
posted at 06:50:25
 
 

水戸黄門は日本人であってヤンキー(アメリカ人)ではありません。
@mando1104 水戸黄門、くそ良い人っぽいけど、ヤンキーだし、生類憐れみの令出した綱吉に犬の皮20体分を献上したし、ワイルドなやつや。
posted at 10:52:26
 

@ColintheMcCrash 2011年7月18日の水戸黄門第43部第3話は生類憐みの令に関する話でした。
「名馬が守った父娘の絆(平塚)」平成23年7月18日放送 脚本:大原久澄  監督:井上泰治
1971年5月10日の第2部第33話では光圀が綱吉に犬の皮を贈っていました。
posted at 11:23:02
 

@ColintheMcCrash

「水戸黄門」では光圀が将軍に犬の皮を贈りましたが、綱吉は犬を大切にすることを勧めただけで、町民たちに犬への土下座を強要した件等は幕臣による暴走でした。この番組で憐みの令は人や他の生物の命を大切にする為の法で、役人たちがこれを悪用していただけでした。

午前11:38 · 2013年10月25日

2013年10月27日(日)2 tweetssource

 
確かに水戸黄門は悪人で、犬の皮を贈った話も東野英治郎のシリーズでした。
@774ex 日本史の教科書記述一変で、徳川綱吉が暴君から名君に 「生類憐みの令は慈愛の政治」
posted at 04:22:32
 
 

「水戸黄門」で光圀は綱吉に犬の皮を贈りましたが、劇中の光圀は「綱吉公が出した生類憐みの令は人でも犬でも命を大切にする法令」だとして、役人による過度な悪用を戒めていました。東野黄門から里見黄門まで見ていればわかります。
@MUNOJYO つまりこの綱吉に歯向かってた水戸黄門は…
posted at 04:26:31
 
@sizuku62 @inkyosinkinmuko 「水戸黄門」では綱吉はそれほど悪人としては描かれていません。光圀を信頼して送り出す将軍という感じです。水戸黄門で光圀は将軍に犬の皮を贈りましたが憐みの令の趣旨は支持しており、末端で悪人が悪用したのが悪いという解釈でした。
posted at 04:31:50
 

2013年11月06日(水)1 tweetsource

 
@KenjiMizuchi 水戸黄門は生類憐みの令に批判的だったと言われ、綱吉に犬の皮を贈ったという伝説もありますが、番組では憐みの令は生命尊重の法で役人たちが悪用していたことになってます。直訴がご法度なのは当然で、「光圀伝」で光圀は大政奉還を進言した藤井紋太夫を手討ちにしてます
posted at 05:18:22
 

2013年11月20日(水)3 tweetssource

 
「水戸黄門」の光圀は綱吉に犬の皮を贈ったことになっているが、生類憐みの令を廃止させるには至らず、柳沢吉保に寝返った藤井紋太夫を手討ちにしたものの、吉保を幕政から追放することはできなかった。しかし光圀は没後9年経って勝利したとも言える。
posted at 01:58:02
 
 

@kyojitsurekishi 「水戸黄門」の光圀がやっていたことは生類憐みの令の悪用を防ぐための監視と、綱吉の次の将軍に甲府宰相綱豊(家宣)を推すこと、そのために柳沢吉保の息子・吉里が「綱吉の落胤」として将軍を継ぐのを防ぐことであった。
posted at 02:00:31
 
 

@kyojitsurekishi 1700年に水戸光圀が没して9年後の1709年、今度が綱吉が他界。柳沢吉保は幕政から離れ、光圀の「望み」通り綱豊が将軍の座を継ぎ、綱豊改め家宣は生類憐みの令を即刻廃止した。こうなると綱吉没後の幕政は光圀の思い通りになったようである。#水戸黄門 
posted at 02:04:18
 

2013年11月23日(土)2 tweetssource

 
@kyojitsurekishi 42年続いた時代劇「水戸黄門」で隠居後の光圀がしていたのは、「大日本史編纂」の他、幕臣や役人が生類憐みの令を悪用しないよう光圀が幕府や市井を監視すること(憐みの令の廃止ではない)、そして甲府宰相綱豊(家宣)を綱吉の次の6代将軍に押すことであった。
posted at 10:34:58
 
 

「水戸黄門」という時代劇は結局、
1.生類憐みの令を悪用する柳沢吉保らvs悪用を防ぐ光圀 
2.綱吉の次の将軍に綱教と吉里を推す吉保vs綱豊(家宣)を推す光圀 
というイデオロギー対立の物語であった。
各地の悪代官などは光圀の管轄外で、各地の藩主に報告すれば後はどうでもよかった。
posted at 10:51:52
 

2014年01月21日(火)1 tweetsource

 
@ahiru119 @hilowmix もし犬を食べるのがタブーなら徳川綱吉の「生類憐みの令」が何故長い間「天下の悪法」とされたか、わからなくなります。
参照:『水戸黄門』における生類憐みの令
posted at 22:55:48
 

2014年01月23日(木)1 tweetsource

 
@sonomarcoda 松下幸之助の遺言ですか?徳川綱吉も生類憐みの令を守るよう遺言をしていたようですが、没後、家宣は綱吉の葬儀も待たずに令を廃止したそうです。むしろよくここまで無理を続けられたと感服すべきでしょう。#水戸黄門
posted at 00:30:15
 
テレ東で市川團十郎が光圀を演じた時代劇は「天下の副将軍 水戸光圀 徳川御三家の激闘」ですね。「ガチな水戸光圀」の「ガチな」というのは私の母語(個人方言)の語彙には存在しないので、意味がよくわかりませんが、この場合、「史実に近い」ということでしょうか?
 
水戸黄門が犬公方・綱吉に犬の皮を贈る場面はTBSのナショナル劇場の「水戸黄門」でもやってますよ。1971年の第2部第33話「お犬さま罷り通る(江戸)」です。

2014年06月24日(火)1 tweetsource

 
@sokohaka_fuzy テレ東の團十郎版の水戸光圀は見てませんが、TBSの方が東野黄門の時に放送されたNHK歴史への招待「水戸黄門漫遊せず」によると、犬の皮の話が史実かどうかも怪しいようです。ただTBSの水戸黄門でも犬の皮の話の後も生類憐みの令は存続してましてこれは当然です。
posted at 06:04:40
 
補足
徳川綱吉の生類憐みの令は豊臣秀吉の時代から100年後、大坂夏の陣から70年後に出たようだ。今から100年前はロシア革命の年。
 
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