平成29年tw
/歴史雑談録(@rekishizatsudan)さん / Twitter/
351年前の今日、千姫が亡くなりました。徳川秀忠と江の長女で、豊臣秀頼の正室。秀頼の母(淀)が千姫の母(江)の姉なので、いとこ同士の婚姻です。夫婦仲は良好で、大坂の陣後は秀頼と側室の子である奈阿姫を養女としています。その後は本多忠勝の孫・本多忠刻と結婚。心優しい女性の印象なお方。
もし千姫が秀頼の子を産んでいたら、織田(お市→江)・豊臣(秀頼)・徳川(秀忠)の血が合流していたはずだが、そうは成らなかったか。芦田愛菜が茶々と千姫の幼少期を演じたが伯母と姪だから似ていたとしても当然。
返信先:@nanamomo3248さん,@zibumitunariさん
#水戸黄門 は東野英治郎が有名ですが里見浩太朗は徳川光圀と西郷隆盛を両方演じました。「水戸黄門」は豊臣秀吉の時代から約100年後の話で、江戸幕府が倒れたら乱世に戻るという考えが根強く、光圀は一揆や倒幕運動を防ぐ立場でした。確かに慶喜の大政奉還以降、近代日本は戦争の道を突き進みましたね。
「将軍家光忍び旅」では大阪夏の陣から19年後の家光上洛の時点で「豊臣の末裔(らしき人物)を担ぎ上げた倒幕派」が敵として描かれた。 水戸光圀の隠居は大阪夏の陣から75年後。「水戸黄門」ではさすがに「豊臣の再建を目指す倒幕運動」の設定は無理があるだろう。/#戦後73年/
武家政権の時代の日本では、敵側の男子であれば、子供でも処刑され、女であれば浅井三姉妹のように助命されたようだ。これは/#男女差別/であった。 もし/#男女平等/であれば、老若男女問わず処刑されたはずだ。
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千姫は織田信長の姪の娘であり、徳川家康の孫娘でもあった。豊臣秀頼の子・国松と天秀尼はいずれも側室の子。大阪夏の陣のあと、処刑された国松は男系の先祖をたどると祖父・秀吉にいきつくが、助命された天秀尼の場合、母は成田助直という人物の娘らしく、天秀尼には家康の血も入っていなかっただろう。
戦が終われば、負けた側の姫は助命されたが、若君は押さなくても処刑された。 もし慶長~元和時代の日本が/#男女平等/の社会だったら、男女ともに助命されたか、男女とも処刑されていたはず。
天秀尼は出家し 正保2年2月7日(1645年3月4日)没。豊臣秀頼の第二子とされた求厭(ぐえん)も浄土宗の僧となり元禄元年(1688年)まで生きた。 いずれも子孫はできなかっただろう。
江戸時代初期を扱った時代劇では豊臣の恨みを晴らそうとした集団が幕府転覆を計画していた。 幕府が倒れれば乱世に逆戻り。 こういうことがあるから、徳川家康は豊臣家を「滅ぼした」のだろう。
豊臣秀吉の姉・日秀尼の息子・秀勝と江姫の間の娘・豊臣完子(~さだこ)は今の天皇の先祖に当たる。
「江(崇源院)」と「豊臣完子」は今の天皇の先祖である。 いわゆる「男系」「女系」や「Y染色体」にとらわれなけれれば、豊臣家の血統は今の皇室に受け継がれている。 しかし「豊臣秀吉のY染色体」は受け継がれていない(であろう)ということだ。
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参照
平成23年BLOG
/『江~姫たちの戦国~』第1話で茶々を演じた芦田愛菜が第37話で姪の千姫の役として再登場/
平成29年BLOG
令和2年BLOG
/8歳国松丸斬首 豊臣家滅亡 / 丰臣秀赖儿子8岁的国松丸和其乳母一起在京都的六条河原被斩首/