時間軸の上では『江~姫たちの戦国~』の秀吉没後と重なっており、『春日局』ともほぼ一致している。
家康、秀忠、家光の時代を扱っているが、浅井3姉妹の物語でもある。
家康、秀忠、家光の時代を扱っているが、浅井3姉妹の物語でもある。
秀忠と家光が上洛したとき、「源秀頼」「源家光」と呼ばれる場面があり、徳川家が源氏の子孫を名乗っていたことがわかる。
源氏も足利家も徳川家も他の武家との戦いに勝って幕府を開いて、結果としていずれも清和天皇の子孫というのはすさまじい予定調和である。
『必殺仕事人V』で「主水、源氏と平家に泣かされる」のとき、田中様が将軍家を源氏としていた。
皇室を天皇家と呼ぶのは近現代になってからであるが、『葵 徳川三代』では秀頼が「天皇家」と言っている。『平清盛』のHPでは「王家」である。
『草燃える』以降、台詞に現代語を取り入れている大河も、こういうところでは「当時」の言い方を重視するようだ。
『草燃える』以降、台詞に現代語を取り入れている大河も、こういうところでは「当時」の言い方を重視するようだ。
「御対面」で江が完の息子2名と対面。
「女の一生」で江の最期が描かれ、それまでのむすめたちとの再会、家光の誕生など名場面が回想でくりかえされた。
「女の一生」で江の最期が描かれ、それまでのむすめたちとの再会、家光の誕生など名場面が回想でくりかえされた。
大坂夏の陣では家康と秀忠が淀と秀頼を助けようとしたが、淀と秀頼は自刃して爆死という手を選んだ。
なお、千姫脱出を手配したのは初(常高院)であった。
なお、千姫脱出を手配したのは初(常高院)であった。
淀が自害したとき、江戸にいる江の寝室に淀の霊魂が出現。
また、江が病死したとき、京都にいる秀忠の寝室に江の霊魂が出現。
また、江が病死したとき、京都にいる秀忠の寝室に江の霊魂が出現。
大河ドラマではこういう霊魂、生霊、幻想の描写は前からあったことがわかる。
『おんな太閤記』では秀吉は没後も高台院の前にたびたび亡霊となって出現。
『天地人』では本能寺の変のときに信長の眼前に上杉謙信が出現した。
『江~姫たちの戦国~』では本能寺の変のときに信長の前に江姫の生霊が出現し、江姫が伊賀越えをしたときに信長が馬上でサポートした。
『天地人』では本能寺の変のときに信長の眼前に上杉謙信が出現した。
『江~姫たちの戦国~』では本能寺の変のときに信長の前に江姫の生霊が出現し、江姫が伊賀越えをしたときに信長が馬上でサポートした。
『葵』では、江の四女の初姫は1626年に江と再会。15歳のときに実の母を知ったらしい。
大坂夏の陣で秀頼の幼い息子・国松は処刑され、息女・天秀尼は出家させられた。のちの姫将軍である。
平安末~鎌倉時代の源義経の例から敵の子は男であれば幼くても処刑されるようになったか。
戦国時代は女の子のほうが得をしている。
元禄まで生きた求猒が秀頼の次男を名乗っていたという説もある。
平安末~鎌倉時代の源義経の例から敵の子は男であれば幼くても処刑されるようになったか。
戦国時代は女の子のほうが得をしている。
元禄まで生きた求猒が秀頼の次男を名乗っていたという説もある。
『葵』で家光に嫁いだ鷹司孝子が、『影の軍団III』で多羅尾半蔵と出会った。
春日局の紹介で登場した男装の少女・お振(ふり)は家光の側室・自証院となる。
家光の側室・桂昌院は『水戸黄門』で柳沢吉保とともに光圀と対立。
春日局の紹介で登場した男装の少女・お振(ふり)は家光の側室・自証院となる。
家光の側室・桂昌院は『水戸黄門』で柳沢吉保とともに光圀と対立。
2代目尾張藩主・徳川光友は1625年誕生。家光が将軍になって2年後。上洛の前年であった。
『葵』によると家綱が生まれる前、尾張家が時期将軍の有力候補だったらしい。
吉宗の時代、宗春が将軍の座を狙ったが、御三家の中で唯一、尾張から将軍は出なかった。
『葵』によると家綱が生まれる前、尾張家が時期将軍の有力候補だったらしい。
吉宗の時代、宗春が将軍の座を狙ったが、御三家の中で唯一、尾張から将軍は出なかった。
徳川和子にとって紀伊、尾張、水戸の御三家初代藩主は「叔父」であるが、生まれた年は数年違うだけで、ほとんど兄妹に近い。
千姫にとっては父・秀忠の弟である御三家初代藩主のほうが自分より「年下」であった。
千姫にとっては父・秀忠の弟である御三家初代藩主のほうが自分より「年下」であった。
この作品で、家光が自分に弟(のちの保科正之)がいることを知り、正之が秀忠、家光と対面する場面がある。
『江戸を斬る』の第1部によると、この保科正之は双子で生まれ、双子の弟は梓右近、竹脇無我が演じた。
『江戸を斬る』の第1部によると、この保科正之は双子で生まれ、双子の弟は梓右近、竹脇無我が演じた。
もし、家光の治世の末期、江戸の町で松平長七郎と梓右近が会っていたらどんな会話をしただろうか。
このドラマでは千姫の婚礼のとき、江と完の再会も描かれている。
千姫の婚礼の翌年、完は九条家に嫁いだ。
千姫と完は異父姉妹の関係であった。また秀頼と完も從兄妹同士で、義理の兄妹になった。
短い間だったが、秀頼と完と千姫の共同生活もドラマで観たいものである。
このドラマでは千姫の婚礼のとき、江と完の再会も描かれている。
千姫の婚礼の翌年、完は九条家に嫁いだ。
千姫と完は異父姉妹の関係であった。また秀頼と完も從兄妹同士で、義理の兄妹になった。
短い間だったが、秀頼と完と千姫の共同生活もドラマで観たいものである。
千姫婚礼のとき、『江~姫たちの戦国~』では家康(演:北大路欣也)が淀(演:宮沢りえ)について「目をさましていただく必要がある」と江に語った。豊臣の世がとこしえに続くという夢からさめる必要があるということだ。
『葵 徳川三代』では高台院(演:草笛光子)が家康(演:津川雅彦)を評価しながら、淀(演:小川真由美)について「いつまで太閤殿下の威光をかさにきて」いるようでは心配だと江(演:岩下志麻)に述べていた。
『葵 徳川三代』では高台院(演:草笛光子)が家康(演:津川雅彦)を評価しながら、淀(演:小川真由美)について「いつまで太閤殿下の威光をかさにきて」いるようでは心配だと江(演:岩下志麻)に述べていた。
『江』より『葵』のほうが戦国の女たちの心情がよくわかるのは皮肉である。
『江』では初姫を産んだあとの江(演:上野樹里)は高台院(演:大竹しのぶ)に会ったのだろうか。
『江』では初姫を産んだあとの江(演:上野樹里)は高台院(演:大竹しのぶ)に会ったのだろうか。
@kyojitsurekishi NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」では朝鮮からの使者たちが徳川家光を「将軍」でなく「日本国王」と見做していた。家光の家臣の説明では、朝鮮では「将軍」は別儀だということである。もちろん、朝鮮語で「日本国王」は「일본 국왕」、「将軍」は「장군」である。
2015년6월10일17시23분
2015년6월10일17시23분
「平清盛」では清盛が天皇家を「王家」と呼んでいた。日本の平安~鎌倉時代、シナは唐から五代十国、宋を経て元に支配され、朝鮮は新羅から高麗になった。高麗の次が朝鮮、元の次が明で、「軍師官兵衛」などで描かれた豊臣秀吉による朝鮮出兵はこの時代。
「葵 徳川三代」では朝鮮からの使者たちが当時の将軍・徳川家光を「日本國王」と呼んでいた。徳川家光が将軍で、家光の父・徳川秀忠が大御所として存命だった時代、日本の天皇は後水尾天皇~明正天皇だった。
今の朝鮮では日本の天皇が「日王(일왕)」と呼ばれる。朝鮮王朝時代、朝鮮の人たちは日本の京都と江戸に2人の「王(왕)」が存在すると認識していたのか?
2015年12月29日0:59~1:04~1:10
「葵 徳川三代」では朝鮮からの使者たちが当時の将軍・徳川家光を「日本國王」と呼んでいた。徳川家光が将軍で、家光の父・徳川秀忠が大御所として存命だった時代、日本の天皇は後水尾天皇~明正天皇だった。
今の朝鮮では日本の天皇が「日王(일왕)」と呼ばれる。朝鮮王朝時代、朝鮮の人たちは日本の京都と江戸に2人の「王(왕)」が存在すると認識していたのか?
2015年12月29日0:59~1:04~1:10
〔@kyojitsurekishi〕 新からくり人のお艶と剣劇人のお七。山田五十鈴は #葵徳川三代 で「お大の方」を演じ、家康を演じたのは津川雅彦。工藤夕貴は #真田太平記 で千姫を演じ、家康を演じたのは中村梅之助。
◎#葵徳川三代(あふひとくがはさんだい) 慶長5年(西暦1600年)の関ヶ原の合戦から400年後、平成12年(西暦2000年)に放送された。 平成12年は「慶長405年」でもあった。
日テレの時代劇『長七郎江戸日記』は由井正雪の乱(1651)の前後(将軍は3代・家光~4代・家綱)の時代の話で、関ヶ原の合戦(1600)からおよそ半世紀が経過した時代の話である。
武家政権の時代の日本では、敵側の男子であれば、子供でも処刑され、女であれば浅井三姉妹のように助命されたようだ。これは/#男女差別/であった。 もし/#男女平等/であれば、老若男女問わず処刑されたはずだ。
「鎌倉殿の13人」初回放送 ネットが震撼「冷酷非情。頼朝怖い」
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