〔#遠山の金四郎〕
〔午前0:34 · 2018年8月14日〕·Twitter for iPhone
遠山金四郎景元(かげもと)は1793年(寛政5年)生まれ、水野忠邦は翌1794年誕生、鳥居は1796年生まれのようです。金四郎が北町奉行になったのは1840年(天保11年)、水野忠邦が老中を罷免されされたのは1843年(天保14年)、この時点で金さんは50歳くらいだったのでしょう。
〔#遠山の金四郎〕
〔午後4:17 · 2018年8月14日〕
御教授ありがとうございます
〔午後10:04 · 2018年8月14日〕
アンケートにご協力お願いします。
年号表記は何を使用していますか?
元号 36.4%
皇紀 12.1%
西暦 51.5%
その他 0%
33票 · 最終結果
〔午後8:53 · 2020年1月21日〕
本当にありがとうございました!
西暦を使用する方が多数派のようです。私は西暦はイマイチわかりませんので…個人的には元号表記がベストです…以下略
〔午前10:28 · 2020年1月25日〕·Twitter for Android
返信先:@kikuchimitsuruさん
西暦の方が分かりやすいという人が増えているのでしょう。
こういうのはどうでしょうか。
〔#西暦と元号どっちがわかりやすい〕
遠山金四郎は寛政5年生まれ、北町奉行だったのは天保11~14年で、この時期に50歳になり、嘉永6年の黒船来航の時で60歳くらい、開国後、安政2年没。
〔午前10:18 · 2020年1月30日〕
〔#西暦と元号どっちがわかりやすい〕
遠山金四郎の場合、生まれたのは「寛政の改革」が終わった時期、北町奉行だったのが「天保の改革」の時代、没年は「安政」2年、日米和親条約締結の翌年。
〔寛政 天保 安政 遠山金四郎〕 Twitter
〔午前9:32 · 2020年2月10日〕
〔#西暦と元号どっちがわかりやすい〕
遠山金四郎は松平定信の寛政の改革が終わったころに生まれ、北町奉行だったのは天保の改革の時代で、幕末の安政年間に他界。「寛政」「天保」「安政」はよく知られた元号だが、今の日本人にとっては西暦の方が分かりやすいか?
遠山金四郎の経歴。1793年生まれとする。どちらが時代を理解しやすいか。
杉良太郎は奉行と同心と岡っ引きを演じたことなどでポリスマンと縁がある。 杉良太郎が生まれたのは1944年(昭和19年)。遠山金四郎は1793年(寛政5年)生まれ、1855年(安政2年)没なので、杉良太郎は遠山の金さんと151歳差。杉良太郎が生まれたのは遠山金四郎没後89年の年。
遠山金四郎(とほやま きんしらう)として有名な遠山景元(とほやま かげもと)は1793年9月27日(寛政5年8月23日)生まれ、1855年4月15日(安政2年2月29日)没。
〔午前9:29 · 2020年6月3日〕
「寛政」「天保」「安政」は元号の中では有名な方だと思うが、令和時代の日本人にとっては、これらの元号より西暦の方が時代を理解しやすいのか?
〔#遠山の金さん〕
遠山金四郎の経歴
1793年生まれ
1840年:北町奉行就任
1843年:大目付就任、満50歳
1845年:南町奉行就任
1852年:隠居、数え年60歳
1855年:永眠、数え年63歳
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関連語句
〔@kyojitsurekishi 遠山 鳥居〕(twitter)
参照
〔遠山金四郎が歩んだ歴史〕
2009-07-04 12:23:16
【画像】1780年以降の西暦と元号