#水戸黄門、徳川光圀の経歴、数え年73歳で没。 西暦と元号、どっちが時代を理解しやすいか。
【西暦】1628年7月11日生まれ、1661年から1690年まで水戸藩主、1701年1月14日没(1700年没とされる場合もある)。
【元号】寛永5年6月10日生まれ、寛文元年から元禄3年まで水戸藩主、元禄13年12月6日没。
#水戸黄門 として有名な徳川光圀(みつくに)は寛永5年6月10日(1628年7月11日)生まれ、寛文元年(1661年)から元禄3年(1690年)まで水戸藩主、甥で養子の綱條(つなえだ)に藩主の座を譲って隠居後、元禄13年12月6日(1701年1月14日)に数え年73歳で他界。今年は320回忌であろうか。
〔#西暦と元号〕
水戸黄門・徳川光圀の経歴。寛永と元禄は有名なはずだが、世間では西暦の方が分かりやすいと思われるか。
水戸老公の経歴では西暦優勢だったが「大沼デパート元禄13年創業」に関しては少数意見で元号を推す人が いたようだ。
「寛永」は3代将軍・徳川家光の時代。「元禄」は5代将軍・徳川綱吉の時代。 元号を使えば光圀が家光~家綱~綱吉の時代を生きた自分だったことが分かるはずだ。
「西暦の方が分かりやすい」と思う人は、元号が無くても、西暦だけで「1628年は家光の時代」「1701年は綱吉の時代」ということが分かるのだろう。
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2020-01-30 19:05:09