2015-05-06 09:45:37

『水戸黄門』、放送時期(1969~2019)と時代設定(1690~1701)

具体的な時代設定
第1部ではいきなり藤井紋太夫(演:佐藤慶)が手討ちにされているので劇中の時代は1694年末(陽暦で1695年1月)。
第3部第2話では弥七の墓参りの場面で時代が元禄3年、1690年に戻っていることがわかる。しかし、第1話で小笠原佐渡守が老中になって光圀に挨拶に来ており、これは1697年なので、時代が混乱している。
第4部第1話では八兵衛が江戸に来たのが2年ぶりで、越後騒動から14年後。
第14部では第27話で勝山(福井県)の藩主が変わって2年後、藩主が前年にお国入り。
第28部は吉宗が「新之助」を名乗り始めた時期から推定した。井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年以降。
これなら第40部第1話で初代八兵衛が「引退」して2代目八兵衛にバトンタッチしたのが1694年とすれば、第28部で光圀が1694年に新之助と会ったときに初代八兵衛がいたと推定しても辻褄が合う。第40部では1694年に没した松尾芭蕉が登場するので、1695年以降ということはありえない。一方、第28部の「紀州の若様」は「新之助頼方」であり、この名前は1696年以降らしい。
第29部では1690年に光圀が隠居した過程が描かれている。紋太夫(演:大出俊)がまた手討ちにされた。
第37部は最終話で綱條(演:国広富之)が吉孚の年齢を「14歳」と言っているので推定1698年。
第38部は敦賀で公家がひろげた勅命から元禄丁丑年、1697年とわかる。
第40部では松尾芭蕉が存命なので1694年以前。
第42部は松平頼豊が12歳(高松藩の家臣の台詞より)ということから推定可能。ただ光圀が旅の許可を幕臣たちに要請した場面で、正室・近衛尋子没後40年とされているので、それだと時代設定がずれてくる。
第43部最終話(2011年12月12日放送)で紋太夫が再々登場(演:小倉一郎)。手討ちにはされなかった模様。
レギュラー枠終了の時のSP(2011年12月19日放送)将軍・綱吉が護国寺に参拝。
護国寺は1681年創建だが本堂は1697年建立。もし本堂があれば時代は1697年以降。
2017年にBS-TBSで放送された武田鉄矢主演の『水戸黄門』(全10話)では書状や墓などに書かれた元号と干支が「元禄辛未」のように見える。該当するのは1691年、元禄4年である。
2019年に放送された第2部では泉谷しげるが宮崎安貞を演じており、『農業全書』を書き上げた。
 第38部(里見浩太朗主演)
TBSのHPで第1話が2008年6月30日放送とあるが、これは1月7日放送であろう。
TBSのHPでも第38部のTOP PAGEでは2008年1月7日開始となっている
C.A.LのHPでも平成20年年1月7日開始だ。
 
 
TBSの「水戸黄門」のHPは平成27年6月29日のスペシャル版のHPと化しており、第1部(昭和44年)から第43部(平成23年)までの各シリーズや第43部の直後の最終回スペシャルのHPを見るのが少し面倒だ。
 
番組は東野英治郎から武田鉄矢までのシリーズだけでも50年近く続いている。劇中の時代は光圀の晩年の約10年間。同じ時代が何度も繰り返し描かれているわけだ。

8:49 - 2019年6月24日        

 

 
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