平成30年tw
返信先: さん
明治天皇即位は太陽暦で1867年、明治改元は1868年、越年の改元だったのに、平成の踰年改元を認めない「保守派」が永田町にいるなら、民間の元号離れは加速するでしょう。
8:13 - 2018年8月10日        
 
いわゆる「保守派」は「天皇の在位期間と元号の一体性」を理由にして元号の事前公表に反対しているようだ。これに対し「一世一元は明治以降の制度でわずか150年の歴史」だという反論があるが、それでは同じ天皇の時代に元号が何度も変わった時代の方がよかったのだろうか?
 
返信先: さん
仁孝天皇崩御・孝明天皇即位(1846)→嘉永改元(1848)、孝明天皇崩御・明治天皇即位(1867)→明治改元(1868)のように崩御による改元でも少し間がありました。譲位も越年改元も前例があります。しかし、退位と改元の日程が前年までに決まって、新元号だけ未定という状況が異例なのでしょう。
返信先: さん
鉄製土偶さんのおっしゃる通りですね。 元号は歴史感覚をおかしくする弊害があると思います。日露戦争勝利(1905年)から第2次大戦敗戦(1945年)までわずか40年というのは、元号を使用しているとピンとこないでしょう。
@dHTb3Ccu6TJcKWV これに対する反論(下参照が幾つかありますが、これはつまり、たとえ元号が「廃止」されても、「明治時代」という用語はすぐには無くならないということを意味してているので、短期間で過去の元号を完全に「無くす」のは無理でしょう。
全部西暦になったら明治時代もなにもかもが無いことになるんですよ
posted at 00:27:24
 
返信先: さん、さん
皇紀も使ってるよね?横から失礼します
 
官邸の幹部は「踰年(越年)改元するくらいなら元号なんかやめてしまえばいい」と言ったらしい。それなら元号をやめようという人が出て来るのは仕方がないな。「文政」と「明治」は越年改元の結果だったはず。
2018年(平成30年)8月9日、朝日新聞夕刊「平成とは」
posted at 01:01:42
 
1817年、光格天皇が譲位、仁孝天皇が即位→1817年、「文化」から「文政」に改元。1846年、仁孝天皇が崩御、孝明天皇が即位→1848年、「弘化」から「嘉永」に改元。1867年、孝明天皇崩御、明治天皇即位→1868年、「慶応」から「明治」に改元。歴史上、越年改元は珍しくなかった。
posted at 01:07:03
返信先: さん、さん
第二次大戦などさまざまな出来事が元号のせいで非常に分かりにくいので、全部西暦に変えれば断然理解しやすくなります。元号などという古代中国由来の劣化版、七十年前に滅ぼさなくちゃいけなかったのを、だらしなくずるずる使い続けているのがそもそもいけない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
令和5年tw
/#平成レトロ/に批判的な人たちは「明治モダン、大正ロマン、昭和レトロ」のような慣用に執着するが、日露戦争から第二次大戦までの40年間を「モダン、ロマン、レトロ」に分ける根拠は何か?結局、2度の天皇の交代だけだ。
 
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