慶応4年(西暦1868年)、鳥羽・伏見の戦いが始まった。
新政府軍は苦戦するが、大久保と岩倉が用意した錦の御旗で形勢逆轉。
けが人の治療のため、外国人医師を京都に入れるため、西郷は天皇や公家たちに頼んで無理を通してもらった。
天皇絶対主義が話を面倒にしていた。今度の改元も「天皇のお気持ち」を絶対視する傾向はよろしくない。
慶喜は大坂を出て江戸に逃げ、ふきも慶喜を批判して叱責され出て行ってしまう。
西郷は慶喜を追って江戸に行く。
西郷が山岡鉄舟と対談。
続いて西郷が幾島(演:南野陽子)と再会、次に篤姫(演:北川景子)と再会。12年ぶり。慶応4年から12年前は安政3年。昭和から平成までの計算ができないくらいで元号廃止を唱える現代人は、江戸時代の人がどうしていたか考えるべきだ。
もともと島津斉彬は慶喜を将軍にしようとし、西郷もそのために奔走した。
篤姫は自分の幸せを犠牲にして養父・斉彬に從い、家定の妻になった。
12年経って西郷から見て慶喜が敵になったから篤姫に「江戸城から逃げてください」と言っても無理だろう。
 
『翔ぶが如く』では西郷(演:西田敏行)が幾島(演:樹木希林)と再会した。
『篤姫』では勝海舟が西郷に「島津斉彬が篤姫に宛てたてがみ」を見せて心を動かし、江戸開城となった。
 
家定没後、家茂が将軍になり、8年後に家茂も逝去、慶喜が西郷と敵になったところで篤姫と幾島がどうだったか、本作では全く描かれていない。これは『篤姫』を見ればいいということか。
 
本来、薩摩の島津斉彬と西郷吉之助および幕府の大老・井伊直弼が開国派、水戸徳川家の斉昭(&一橋慶喜?)と都の孝明天皇が攘夷派という対立構図だったはずが、薩摩が慶喜を将軍に推したことで話がおかしくなった。
 
で慶応4年に西郷吉之助が幾島と再会、これが12年ぶり。前に会ったのはいつか。西暦1868年から12年前は1856年、だから安政3年。元号は時代を表すが計算する場合は西暦の方が便利だ。
 
平成30年が昭和93年であるとか、新元号5年が平成35年であるとか、元号同士の換算は慣れれば便利だ。しかし元号は247個あるので一々元号同士で換算すると却って面倒。慶応4年(明治元年)を「文政51年(文政元年から50年)」や「安政15年(安政3年から12年)」に換算するよりは西暦で計算するほうが便利。
西郷吉之助が幾島と再会。篤姫再登場。安政の大獄から鳥羽・伏見の戦いまでの10年間の時代の変化を篤姫と幾島がどう受けとったか、今まで描かれていなかった。回想シーンで触れられるのか?「詳しくは『篤姫』をご覧ください」ということか?
 
篤姫の立場で考えると薩摩藩主・島津斉彬の養女になったと思ったら、「慶喜を将軍にするため」という理由で徳川家に押し付けられ、頑張って徳川家に馴染んで、慶喜が将軍になったら、斉彬の家臣だった西郷吉之助が慶喜を倒そうと進撃してきた。幕末の姫は志士たちの身勝手に翻弄されていた。
 
西郷隆盛(吉之助)は文政10年12月7日(西暦1828年1月23日)生まれ。
王政復古の大号令は慶応3年12月9日(1868年1月3日)に出た。
鳥羽・伏見の戦いは慶応4年1月3日(1868年1月27日)に始まった。この時点で吉之助は40歳だった。
2:46 - 2018年9月25日         
 
『西郷どん』は、平成30年(2018年)1月7日から同年12月16日まで放送された。
西郷隆盛生誕190周年、明治維新150周年の時期に放送された。
 
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関連語句
西郷どん(twilog)

参照
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『翔ぶが如く』『篤姫』『西郷どん』(鳥羽・伏見の戦いまで)対照表
 
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西暦と元号と西郷隆盛の年齢