保守系議員が「新元号、即位後公表」を政府に要求、明治150年と東京150年
 
新元号の事前公表に反対 日本会議国会議員懇PT(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース 
 
孝明天皇の場合、即位から崩御までの元号は弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応である。
だから改元と崩御、譲位は一致しなくていい。
孝明天皇崩御は慶応2年12月25日1867年 1月30日)。
慶応3年1月9日1867年 2月13日)に明治天皇が即位。
慶応から明治への改元は慶応4年9月8日1868年 10月23日)。
つまり明治天皇即位から元号「明治」の開始まで1年と8箇月くらいだった。
だから「改元は即位の後」が普通である。
人々が「明治」という新元号を知ったのは慶応4年秋の改元の時だっただろう。
そして改元による新元号は改元のその時に知らされるのが普通であろう。
だから平成→新元号の改元は2019年5月1日以降でも不思議ではない。また新元号がその時まで世間に知らされなくても、これは普通のことだ。
保守系議員は大っぴらに公言できないだろうが、今の天皇が2019年4月30日の退位予定日まで生きていてくれるとは限らない。もし2018年のうちに天皇が崩御したら、2018年が新元号元年となる。
その場合でも新元号は2019年るの年明け後になるかも知れないが、それでも新元号公表は改元のその日だろう。
過去に行われた天皇即位後の改元の時も、元号公表は改元のその時だっただろう。
改元は1年365日、いつ起きるかわからない。日本の民衆はその前提で生活してきた。
日本の民衆が、今頃になって「改元の前年に新元号を知らされないと困る」などと不満を言い出すのであれば、それは民衆の側が元号に対応できなくなったからである。
民衆が突然の改元に対応できなくなったのなら、昭和が終わった時点で「次の元号の事前公表」を求めた運動でもしておくべきだった。
生前退位や、崩御と関係ない時期の改元は前例があるが、改元後の新元号が事前に公表されたことは、ほとんど無かっただろう。それをやるには法改正や閣議決定など様々な手続きが必要だ。
 
<平成30年、明治151年>
「元年」のカレンダーに書かれる元号は、改元前のものであっても不思議はない。
>宮内庁関係者が言う
>「…改元を民間の都合に合わせるという考え方自体がおかしい」
 

平成29年は #明治150年 だった。今年、平成30年は #明治151年 に当たる。中曽根康弘元首相は大正7年生まれで今年100歳。これは平成30年を「大正107年」とする換算法でも計算できるが、大正7年を「明治51年」と解釋すれば、今年は「明治151年」だから、「明治51年」から100年経ったことがわかる。

13:41 - 2018年6月1日

 

大正と昭和と平成を明治で表す方法は便利だ。シベリア出兵が始まった大正7年は「明治51年」だったことがわかる。また盧溝橋事件が起きた昭和12年は「明治70年」である。今年、平成30年は #明治151年 だ。從ってシベリア出兵の開始は100年前、盧溝橋事件は81年前である。#明治150年 #明治維新150年

13:43 - 2018年6月1日

 

光格天皇の譲位は201年前の文化14年。日本の傳統派も天皇の譲位を知らない。新元号公表が改元当日であるのは通例なので何も驚かないが、150年前の明治改元は、慶応年間の孝明天皇崩御→明治天皇即位から1年以上あと。一世一元の時代の「天皇崩御または譲位→即日または翌日改元」の原則が混乱の現況か。
 
返信先: さん、さん
100年ごとに改元するなら元号ではなく20世紀、21世紀、22世紀という時代区分と同じようなものです。また、明治以降の一世一元が問題と言われてますが、江戸時代には孝明天皇の在位期間だけで元号が弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応という風に頻繁に変わったわけで、それよりは遥かにましです。
 

7月17日は #東京の日 だった。1868年(慶応4年、明治元年)を「東京元年」として計算すると、1967年(昭和42年)は「明治100年」「東京100年」であり、2017年(平成29年)は #明治150年#東京150年 だったことになる。

0:10 - 2018年7月18日

 

1868年(明治元年)を「東京元年」とする年号を大正以降に当てはめると、

関東大震災のあった1923年(大正12年)は「明治56年」または「東京56年」に相当する。

第二次世界大戦が終わった1945年(昭和20年)は「明治78年」に相当する。#明治150年

0:41 - 2018年7月18日

 

日本では1760年に将軍が家重から家治に交代。清朝では乾隆帝の時代だった。歴史上の出来事が何年前に起きたかを現代人が知るためには #元号 を西暦に置き換える知識が必要だ。日清戦争開始は明治27年、光緒20年、西暦1894年、これくらいは知っておく方がいい。

元号 西暦 乾隆 - Twitter検索

2:26 - 2018年7月18日

 
返信先: さん
もともと元号は予告なく変わるもので、不謹慎ながら今の天皇陛下が譲位せずに急に崩御なさっても同じことです。平成の初めの時から大変だったのなら早いうちに技術関係者が政府に元号法の改正を求めておくべきだったはずで、何もしてこなかった民衆にも責任があります。ある意味、自業自得でしょう。
 
明治天皇の即位から慶応→明治の改元まで1年半以上の時間差があった。改元は即位と同時でなくてもいい。しかし、新元号の公表は改元の時に行われるのが普通だっただろう。
新元号の事前公表に反対 日本会議国会議員懇PT(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース 
 
孝明天皇の在位期間は21年間。その間に元号は「弘化」→「嘉永」→「安政」→「万延」→「文久」→「元治」→「慶応」という風に目まぐるしく変わった。そのたびに「システム屋」がどれだけ混乱したか…ということを考える人は余りいないのだろう。
 
歴史上、日本の「改元」は「天皇の即位」と必ずしも同時とは限らなかった。一方、改元後の元号の「事前公表」は確かに例外的だろう。
 
戦後の日本は「天皇が戦争に関与しなければ、戦争を防げる」という建前で「先の大戦を反省」してきたわけで、いくら天皇が「早く新元号を公表すればいい。国民が困ってる」と思っても、直接口にできない。政府、国会議員が国民の代表だ。
午後10:33(22:33) · 2018年7月20日
 

渡部篤@watanabeatushi

わが国の場合は、今なお西暦より、明治、大正、昭和といった元号で歴史的事実や生年月日を表現するのが、日常感覚としてふつうで親しみやすい、それはたんなる習慣の故ではなく、それ以上に日本文化の特性の故であり、そこには日本文化のしたたかさが、如実に反映されているように思う。

午後4:41 · 2018年7月21日

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近代日本が天皇の即位の日と改元日を一致させたことを問題視する人がいるだろうが、それなら幕末のように数年で改元する方がよかったのだろうか?もし平成の日本が阪神大震災、東日本大震災、御嶽山噴火、熊本地震、大阪北部地震または西日本豪雨といった災害のたびに改元していたらどうだったか?

午前0:08 · 2018年7月21日

 

返信先: さん、さん
伝統文化は必要性が説明しづらいもので、例えば毎日、米を炊くのが面倒なのに米食は必要なのかとか、みんな洋服を着てるのに和服は必要か、計算も文字の入力も機械でやる時代に算盤や書道は必要かと言ったらきりがなくなります。元号が不要な人は自分が使わなければいいだけの話でしょう。
 
気象庁による命名で #平成30年7月豪雨 という風に #元号 が使われているのは当然。阪神大震災は「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」、東日本大震災は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」である。
 
気象庁による災害の名称に元号が使われるのは昔からお馴染みだが、これに不満のある人がいるらしい。今の日本人は「在日日系外国人」に近づいており、日本の文化を理解できなくなっているようだ。慶長や安政の地震、宝永の富士山噴火を知らないのか?
平成30年7月豪雨 元号〕 Twitter検索
 
「もうすぐ平成が終わる」ことを理由に #平成30年7月豪雨 という名前に不満を持つ人たちがいる。今の日本人は、一旦、改元したら、一つ前の元号の年も何年前かわからないのだろうか?昭和の頃、我々は、関東大震災のあった「大正12年」が何年前か、何とか計算していたはずだ。
平成30年7月豪雨 西暦〕 Twitter検索
 
返信先: Minerva owl @minervaowl_flyさん
一部の保守系議員が「元号の事前公表は二重権威を生む」という理由で、今度の新元号の公表を即位後にすべきだと主張している件について、批判的な人の意見は、カレンダーや手帖、システムの都合だけで考えていて、それはそれで問題でしょうが、多くの人は天皇の権威など全く考えていないようです。
午前6:02 · 2018年7月22日
 
 
元号に対する批判の一つに「皇帝が時間を支配する帝国主義的な制度」だからというものがあるが、新元号公表に関しては、多くの日本人は、政治家でなく天皇の方が自分たちの味方と考えているようだ。
午後1:55 · 2018年7月23日

 

旧題:「東京の日」「東京150年」「東京時代」「明治150年」<teacup copy済み>

#明治維新150年 #西暦昭和平成

近現代の #元号 を全てを「明治」に換算することで、明治・大正・昭和から平成までの年数の計算が楽になる。#明治150年 が嫌な人は、これを #戊辰戦争150年#東京150年 などに置き換えれればいい。

20:10 - 2018年7月24日

 

返信先:@kaki_3さん,@watanabeatushiさん

「日本人にとって西暦より元号の方が時代がわかりやすい」という意見がありますが、元号を全部覚えている人はどれだけいるでしょうか?吉宗が改革を行った時代は享保ですが、吉宗が生まれてから将軍になるまでの元号は貞享→元禄→宝永→正徳で、覚えるのに時間がかかりました。

午前0:50 · 2018年(平成30年)7月25日

 

#平成30年7月豪雨 の名称に不満のある人がいるようで、今の多くの人は今の時代を元号でなく西暦で記憶しようとしているようです。過去には西暦1596年の「慶長伏見地震」や1855年の「安政江戸地震」もあったので、#西日本豪雨 の名称に「平成」が残るのは自然だと思いますが。

午前7:01 · 2018年7月25日

 

日本人が元号に馴染んでいるのなら、例えばこれらはどうでしょうか?150年前は明治元年、160年前は安政5年、170年前は嘉永元年、180年前は天保9年、190年前は文政11年、200年前は文政元年です。日本人なら、みな、資料などを見ないでこれらを元号で言えるのでしょうか?

/午後0:12 · 2018年7月29日/

 

計算の便宜を優先する人は、近代日本の年号を「明治」で通せばいい。#大正7年(西暦1918年)は明治維新から50年後なので「明治51年」に当たる。#昭和20年(1945年)は「明治78年」に当たる。

今年・平成30年は「明治151年」に相当する。#明治150年 は去年だった。#元号

7:18 - 2018年8月2日

 

1868年9月3日(慶応4年7月17日) - 江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書

1868年10月23日(慶応4年9月8日明治元年9月8日) - 元号が慶応から明治に改元一世一元の詔

 

嘉永元年(1848年)から平成30年までの170年間の時代区分。

#元号:嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応→明治→大正→昭和→平成

天皇による時代区分:孝明→明治→大正→昭和(裕仁天皇)→平成(明仁天皇)

政治の中心地による時代区分:江戸時代→#東京時代

#東京150年

10:19 - 2018年11月7日

 

<令和3年、明治154年>

1918年(大正7年)は1868年(明治元年)からわずか50年後。「東京節」の原曲は1865年(慶応2年)に作られた「ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)」らしい。「慶応の懐メロ」が「大正の懐メロ」になったか。或いは #19世紀の懐メロ#20世紀の懐メロ になったか。

午後2:19 · 2021年6月3日

 

『元号事前公表への賛否、明治150年と東京150年』

/#元号の限界/ /#元号廃止論の限界/ /#元号批判の限界

/#西暦と元号/ /#西暦と元号どっちがわかりやすい/ /#元号/  /#事前公表

/#明治150年/ /#明治154年/ /#東京150年/  /#東京時代/ /#廃藩置県150年/

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/午前10:41 · 2021年10月13日/

 

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前後一覧
2018年7月(Y!Blog)
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参照
<平成30年>
 
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東京時代の元号を「明治」に換算
「明治」を「東京」に置き換える
 
江戸時代後期と東京時代の天皇と元号
 
江戸時代初期の元号「寛永」と明正天皇の在位期間
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