1991年度、ドカベンの番外編では山田太郎は神奈川明訓高校の3年生で、新潟明訓の小林幹英と練習試合で対戦。一方、プロ野球編では、1991年度の山田太郎は鷹丘中学の3年生で、東郷学園の小林真司投手と対戦していた。
ドカベンシリーズの世界における年表 - Wikipedia
1980年代半ば、『大甲子園』の山田太郎は高校生でサチ子は小学生くらい、『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は小学生くらい。つまり『大甲子園』のサチ子は『プロ野球編』の山田太郎とほぼ同世代である。
ドカベンシリーズの世界における年表 - Wikipedia
山田対球道が最終回か。水原勇気とあぶさんが解説なのか。明訓が初めて負けて以来、ろくに読んでないのだが、水島ワールドがクロスオーバーしたのは知ってる。ドカベンと野球狂の詩の世界線はどこで交わったんだ?
— 軽爆(かるはぜ)ちゃん(仮) (@tom_eto) June 28, 2018
山田対球道が最終回か。水原勇気とあぶさんが解説なのか。明訓が初めて負けて以来、ろくに読んでないのだが、水島ワールドがクロスオーバーしたのは知ってる。ドカベンと野球狂の詩の世界線はどこで交わったんだ?
1991年、新潟明訓高校が甲子園に初出場。ドカベンの番外編では、夏の予選の前の練習試合で小林幹英投手が山田太郎と対戦。「I Love Basabell」収録。
#ドカベン最終回
#ドカベンドリームトーナメント編 の最終回には、藤村甲子園、岩風五郎、真田一球、岩田鉄五郎、水原勇気、中西球道が登場している。#ドカベン シリーズの最終回は、#男どアホウ甲子園、#一球さん、#野球狂の詩、#球道くん の続編の最終回でもある。
#ドカベンドリームトーナメント編 の最終回には、藤村甲子園、岩風五郎、真田一球、岩田鉄五郎、水原勇気、中西球道が登場している。#ドカベン シリーズの最終回は、#男どアホウ甲子園、#一球さん、#野球狂の詩、#球道くん の続編の最終回でもある。
posted at 13:55:26
漫画研究家いわく、「巨人の星」「侍ジャイアンツ」は(個人対個人の)バトル漫画だった。確かに梶原一騎は球技より格闘技を扱った劇画の原作の方が專門だろう。
ドカベン46年の歴史に幕、復活は「全くの白紙」 @nikkansportsさんから
>「『ドカベン』の功績は、『魔球』などの絵空事を前面に出す旧来の手法を排し、野球選手が読むに堪える漫画を確立したこと」と野球漫画評論家のツクイヨシヒサさん。投手と打者の超人的対決ではなく、一長一短の個性が織りなすチーム戦を描き、日本人の野球観を向上させたと説く。
返信先: @kyojitsurekishiさん、@nikkansportsさん
現実の野球界では、変化球が(特にマスコミ報道で)「魔球」と呼ばれるようになった。
水島新司のニュース - イチロー、桑田を育てた漫画「ドカベン」46年・・・超人じゃないからカッコいいヒーローたち - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN @Rakuten_WOMANさんから
解説は不知火守と水原勇気でした。大甲子園で岩田鉄五郎、五利一平、水原勇気、藤村甲子園、真田一球が登場し、男どアホウ甲子園→一球さん、野球狂の詩の世界が一旦合流しましたが、ドカベンプロ野球編第1話で山田世代が指名されたドラフトに東京メッツは参加していませんでした。
山田太郎は1974年に明訓高校に入学。もし1977年に卒業していたら右腕投手時代の星飛雄馬と対戦するチャンスはあった。しかし実際は1977年当時も山田太郎は高1。高2の夏が1979年。この年、飛雄馬は「巨人のサムライ炎」では二軍コーチになり、アニメ「新巨人の星II」ではメジャーに移籍した。
山田太郎は1974年に明訓高校に入学。もし1977年に卒業していたら、山田は1976年秋のドラフトで指名された当時高3の選手と同世代になる。原辰徳も当時、高3だったが、東海大学に進学した。
ありがとうございます。あれはあぶさんじゃなかったのね。ストッパーは合流してないのですか。あれが一番好きなんですが。
— 軽爆(かるはぜ)ちゃん(仮) (@tom_eto) June 30, 2018
#ドカベン
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) July 1, 2018
「ストッパー」は見たことが無いのでキャラクターがよくわかりません。少し調べると、架空の球団「東京メッツ」や「大阪ガメッツ」が存在した世界のようで、「野球狂の詩」「ドカベン」と多少はつながりがありそうです。