1972年は時代劇「木枯し紋次郎」「必殺仕掛人」と学園コミックス「ドカベン」が始まった年。
山田太郎は1973年当時中学3年、1974年に明訓高校に入ったようだが、入学1年後の高2春センバツの決勝が描かれたのは1978年。高1春から高2春まで4年を要した。
 
最終章「ドリームトーナメント編」では最後の「決勝戦」に突入。プロ野球編(1995~)の山田太郎は1976年5月5日生まれで40歳9箇月、岩鬼は1977年4月1日生まれで39歳10箇月。城島健司(1976~)と同世代。そろそろ引退の時か
 
しかし藤村甲子園(男どアホウ甲子園)は2014年の時点で還暦。岩田鉄五郎(野球狂の詩)は1973年に50歳を超えても現役投手だったし、2013年に卒寿を超えた。ドカベンの山田世代はいつ引退するか。
 
「男どアホウ甲子園」の藤村甲子園は1954年(昭和29年)生まれだと今年で63歳。初期「ドカベン」の山田太郎は高1夏の甲子園が第56回大会であれば1958年度生まれで今年59歳。プロ野球編の山田太郎は1976年(昭和51年)生まれで今年41歳。
 
高校野球編の時代設定(単行本が出た時期)とプロ野球編の時代設定を比較
〇1974年春 山田太郎、岩鬼正美、殿馬一人、里中智が明訓高校に入学(高校野球編)
〇1974年7月11日 土井垣将誕生(プロ野球編)
〇1976年5月5日 山田太郎誕生(プロ編)
〇1977年4月1日 岩鬼正美誕生(プロ編)
 
〇1976年5月5日 山田太郎誕生(プロ野球編)
〇1977年4月1日 岩鬼正美誕生(プロ編)
〇1978年 高2春センバツで優勝(高校野球編)
〇1979年、高2夏甲子園、弁慶高校に敗れる(高校野球編)
〇1981年 高3春センバツで優勝(高校野球編)
〇1983年春、岩鬼正美小学校入学(プロ編)
 
山田太郎にとっての高1夏の甲子園大会が終わり、秋の地区大会が始まる前、野村克也がプロ22年目だったことが、山田の台詞からわかる。
野村克也の南海ホークス入団は1954年(昭和29年)なのでプロ入り22年目は1975年(昭和50年)。
 
岩鬼が鷹丘中学を卒業する直前、プロ野球の巨人軍は川上監督の時代で、長嶋茂雄と王貞治が現役の選手だった。岩鬼と夏子が巨人戦を観戦した時の場面からわかる。
 
「ドカベン プロ野球編」の山田太郎は42歳。
但し高校野球編初期の設定(1974年5月5日で16歳)だと今年で60歳。藤村甲子園は64歳。
 
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