@kyojitsurekishi 朝廷の女性が「王家に武士の血が混じるとは」。平家は建前では桓武天皇の子孫では?そもそも皇室には蘇我氏や藤原氏の血が既に混じっている。蘇我氏の先祖は武内宿禰でその父は孝元天皇の皇孫、屋主忍男武雄心命?中臣鎌足の先祖は天児屋命?神話の予定調和が凄い。
posted at 01:43:11
神話に出てくる蘇我氏の祖・武内宿禰は280年ほど生きたらしい。もし徳川家康(1542~1616)が300年生きたら生きた時代は家斉の没年1841年までとほぼ一致する。
posted at 01:47:53
@kyojitsurekishi 武内宿禰は景行天皇14年(84年)から仁徳天皇55年(367年?)まで283年生きたらしい。
徳川秀忠(1579~1632)誕生から283年後は1862年で、徳川家茂と和宮の婚礼が行われた。
徳川秀忠(1579~1632)誕生から283年後は1862年で、徳川家茂と和宮の婚礼が行われた。
posted at 22:25:14
@kyojitsurekishi 蘇我氏が武内宿禰の子孫で孝元天皇の血を引くという「神話」だけでなく、平家、源氏、北条、足利、徳川家も「天皇家の子孫」という歴史観も非常に疑わしい。
posted at 19:11:35
「紀元前660年、神武天皇即位」は神話の世界だろう。紀元後の辛酉の年は紀元元年、西暦61年、121年、181年(倭王、後漢)、241年(卑弥呼、魏)、301年、361年、421年(倭の五王)、481年、541年、601年(推古天皇、隋)等。
後漢(東漢)で辛酉の年は西暦61年(今から1957年前)と121年(今から1897年前)。西暦421年(今から1597年前)、倭の五王の一人「讃」が宋(劉宋)に朝献し、武帝から除授の詔をうけたらしい。
神武天皇は神話の人物で、西暦紀元前660年は中国の周王朝の時代。西暦紀元後の後漢以降の倭王、魏の時代の卑弥呼以降の大王を初代天皇とかんがえるのが現実的か。
日本の神話の武内宿禰(たけうちのすくね)はおよそ300歳生きたことになるらしいが、これは江戸幕府の徳川家康、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗、家重、家治、家斉を「同一人物」にしてしまうような強引な歴史観だ。
日本の神話では神武天皇は紀元前660年に即位して127歳まで生きたらしい。徳川家康は1543年生まれ、1616年没(享年73)だが、家康生誕127年は西暦1670年、関ヶ原の合戦から70年後、家綱の治世で、伊達騒動があった時代だ。
江戸幕府第11代将軍・徳川家斉(とくがは いへなり)は安永2年(1773年)生まれ、天明7年(1787年)から天保8年(1837年)まで将軍、家慶に将軍の座を譲って4年後、天保12年(1841年)没。天保13年(1842年)から天保14年(1843年)までの時期が徳川家康の生誕300年に相当する。
厳密には徳川家康は
1月31日( 11年12月26日)生まれなので、家康の生誕300年は1843年1月31日であり、天保14年の初めに相当する。家康の生まれた年が西暦で「 」とされる場合、それは疑似西暦で、天文11年の大半が1542年に当たるから。
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関連語句
〔武内宿禰〕
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