2011年7月半ば、「水戸黄門」終了決定当時のtweetで「水戸黄門を史実通りにやればいい」という案があった。辻斬りや重税はともかく、犬の皮を将軍に贈った話は東野黄門時代に描かれている。
 
あぶひゃく@Abu_Hyaku2011年7月14日
水戸黄門は史実準拠でリニューアルすれば良い。辻斬りやったり遊郭に通ったり男色に励んだりしつつ、学問に目覚め大日本史編纂に乗り出す歴史ドラマ。文化事業にカネ注ぎ込むため重税を民百姓に課したり、生類憐みの令への皮肉で野良犬殺して皮剥いで綱吉に献上するところなども、しっかり描く方向で。
 
石川 重元@kairyuouji2011年7月18日
今日の水戸黄門。「どんな命も慈しみ、大事にせねばならぬという、御仏の教えからきているのが、生類憐みの令だ」と。 「人も動物も虫も草木も、全ての命が尊ばれる世の中になるようにと願う、ご老公であった」と。こういう故事を引用した言葉で視聴者を諭すことが出来るのは時代劇ならではだと思う。
なんか水戸黄門見てたら青い犬出てきたwwwwキモいww しかも生類憐みの令適用とかどんだけ面白いんだ
 
水戸黄門でwwwwww生類憐みの令云々とかでww青い犬出てるんだがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
 
ももたろう :綱吉公の評価って非常に低いけれど、戦国時代の気風を一掃し殺しや残虐性を厭う世になったのは、綱吉公の「#生類憐みの令 」以降ですからね。名君誉れ高い水戸黄門様だって、若い頃そこらの乞食を辻斬りしていたんですから。
Twitterpot2629たぬき-6月2日 8時08分
 

@johnrhodes1964 時代劇の水戸黄門で、水戸老公一行が事件を解決し、宿場を去る時に、決まって現地の若い男女に「早く祝言を挙げなさい」、若夫婦に対しては「早く赤ちゃんを作ってしまいなさい」等と言っていたのは要らぬお節介で、あのドラマが終わったのもよかったかもしれません。

/午後3:21 · 2014年6月24日/

 

虚実歴史(+漢字論・固有名詞問題)研究家@kyojitsurekishi現在
時代劇の「水戸黄門」で光圀は当初、綱吉に犬の皮を贈るなど動物愛護の行き過ぎを批判してましたが、最終的にご老公は幕臣や郡奉行や代官らによる法令の悪用を食い止め、憐みの令の真の意味を家臣に伝える立場(役目)に落ち付いてました。犬の皮の話も諸国漫遊もフィクションでしょうけどね。
 
綱吉は戦国時代の殺伐とした空気を一掃した。
水戸光圀も若い頃は辻斬りをしたそうで、『水戸黄門』第2部第33話「お犬さま罷り通る(江戸)」では綱吉に犬の皮を贈って抗議したが、「お犬様」の弊害は吉保の独断による乱用ということで一件落着。
その後の、憐みの令は存続。
久留米の郡奉行と十手持ち、平塚の代官が憐みの令を乱用。
光圀は憐みの令を人命尊重と動物愛護の精神を説いた方としてこういった乱用を批判した。過去の自分の行いへの反省もあったか。
 
1971年5月10日 『水戸黄門』第2部(C.A.LTBS)第33話「お犬さま罷り通る(江戸)」
光圀(演:東野英治郎)が綱吉に犬の皮を贈呈。
1997年4月21日 『水戸黄門』第25部(C.A.LTBS HP)第17話「幸せ運ぶ青い犬(久留米)」
佐野浅夫主演。東野黄門時代の犬の皮のエピソードの後も生類憐みの令は存続され、廃止されていなかった。そのことに気付かせた回。
2011年7月18日 『水戸黄門』第43部(C.A.LTBS HP)第3話「名馬が守った父娘の絆(平塚)」
光圀(演:里見浩太朗)が生類憐みの令の真の意味を「悪代官」岡部主水丞(演:新藤栄作)に説教する場面がある。 
 
浅野内匠頭と大石内蔵助のしたことは言語道断であり、綱吉の判断は正しかったはずだ。
『大奥 華の乱』では柳沢吉保が綱吉を刺してしまったが、家臣には自害、世間には病死と知らされ、吉保の殉死の願いは家宣により却下された。
 

〔showgunn@showgunn

-英雄エピソード- (徳川綱吉) 5代将軍。行き過ぎた動物愛護「生類憐みの令」の悪政と、元禄文化保護の仁政とで評価が二分される。「水戸黄門」「忠臣蔵」のせいで悪役のイメージが定着した?

午後3:13 · 2012年5月22日

 

「水戸黄門」では綱吉はそれほど悪人としては描かれていません。「忠臣蔵」でも吉良上野介は悪人とされますが、綱吉は作品を見る限り別に悪人でも何でもありません。

午前4:33 · 2013年10月27日

 

「水戸黄門」は結局、老中・柳沢吉保と自称「副将軍」の水戸光圀による権力争いを描いた作品で、徳川幕府内の政治闘争の話に過ぎません。光圀にとって最大の敵が吉保で、その上司・綱吉は光圀にとっても上司なので、その意味で綱吉が一番「悪人」か「大人物」だったかも知れません

午前4:38 · 2013年10月27日

 

@pot2629 時代劇の「水戸黄門」で光圀は当初、綱吉に犬の皮を贈るなど動物愛護の行き過ぎを批判してましたが、最終的にご老公は幕臣や郡奉行や代官らによる法令の悪用を食い止め、憐みの令の真の意味を家臣に伝える立場に落ち付いてました。犬の皮の話も諸国漫遊もフィクションでしょうけどね

午前5:45 · 2014年6月26日

 

@kyojitsurekishi 「水戸黄門」において「副将軍」を名乗る水戸黄門(徳川光圀)とその養子・綱條は、柳沢吉保や徳川光貞(紀伊)にとって胡散臭い存在だった。「水戸黄門」とはそういう徳川家及び江戸幕府の内紛の物語だった。
posted at 00:36:32
 
水戸黄門こと光圀は1700年没。「大奥 華の乱」にあるように柳沢吉保の失脚は1709年に綱吉が没して綱豊=家宣が将軍になった時で、生類憐みの令の廃止もその時からだった。
posted at 00:43:06
 
 水戸光圀が徳川綱吉に犬の川を贈った話はTBSの東野英治郎主演の「水戸黄門」でも描かれてる。これもどこまで本当か怪しいようだが。
グルメで変人…「水戸黄門」の本当の素顔 - NAVER まとめ
2015年7月14日8:18
 

市川絡繰@awajiya

突然,「TV時代劇の『水戸黄門』で,当時施行中の生類憐みの令をネタにした回はあったのか」というのが気になり,ぐぐってみると,あったらしい 

「『水戸黄門』における生類憐みの令

第2部第33話だと,けっこうな大昔だ.最終回なんだから視てると思うのだが,覚えてない.

午後9:03 · 2020年5月13日

 

水戸黄門こと徳川光圀は元禄13年12月6日(1701年1月14日)没。 没年を「1700年」とするのは「元禄13年」を「1700年」に対応させた疑似西暦。 綱吉が没した1709年(宝永6年)に家継誕生。
 
「生類憐みの令」がなぜ「悪政」とされたのか、説明が必要だ。これは「善政」ではなかったのか?
 
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