政府の財政が破綻しているとすると、江戸時代の三大改革を思い出す。
江戸時代は元禄から天保まで、バブルと引き締めの繰り返しであった。
 
バブル___引き締め
元禄………(「生類憐みの令」は「引き締め政策」?)
└→→→→→享保の改革
田沼時代←←┘
└→→→→→寛政の改革
文化文政←←←┘
└→→→→→天保の改革
 
光圀も『大日本史』編纂で水戸藩の費用を大量に使ったようで、光圀と綱條の時代、水戸の財政は破綻状態だったらしい。悪代官が私腹を肥やす程度のほうがまだ可愛いほうだっただろう。
史実の光圀はほとんど関東を巡っただけだが、『水戸黄門』のように光圀が全国行脚したらその財政面での浪費は計り知れず、水戸の百姓は大量の年貢に苦しんだだろう。
 
天保の改革のとき、音楽や小説、装飾品などあらゆる文化が弾圧された。幕府にはこういったゼイタクをなくせば幕府の財政もうるおうだろうという考えがあったのであろう。
今の日本の政府も「平成の改革をしようとしているのだろうが、消費を制限することはしていない。
大東亜戦争のときにはゼイタクは禁止されたようだ。
 
享保の改革を進めた吉宗は名君とされ、それに協力した大岡越前守忠相は名奉行とされている。
一方、吉宗や忠相の時代から役1世紀後の天保の改革になると、それを進めた水野忠邦と鳥居耀蔵は悪玉とされることが多く、改革に批判的だった遠山金四郎景元が名奉行とされるようだ。
つまり庶民の間では享保の改革は善政だったが、天保の改革は悪政だったことになる。
 
必殺シリーズでは、舞台が文化・文政の場合は、法が法として機能せず、悪がはびこっているという「縛りのない問題」がテーマだったが、天保の改革の時代が舞台になると逆に「国家権力による大衆への縛りの強さ」が批判される。鳥居耀蔵が南町奉行になると中村家でせんとりつが楽しんでいた三味線の演奏会も中止となり、主水が鳥居を仕置したらそれがめでたく解禁されたことからわかる。幕末が舞台だと幕末の混乱そのものが庶民を苦しめていたという構図になる。
 
それでは寛政の改革はどうか。これについては時代劇などでも評価が分かれるようだ。
『だましゑ歌麿』ではその寛政の改革の行き過ぎが問題になっていて、長谷川平蔵が水野忠邦に忠告する意向を示して終わっていた。
 
平成24年tw

虚実歴史研究家@kyojitsurekishi

【時代劇の時代設定】だましゑ歌麿II:1791(寛政3)年に処刑された葵小僧は劇中では替え玉の設定で本物の葵小僧も中村橋之助扮する同心に斬られた。ラストシーンで歌麿が松平定信によって投獄されたとあるが調べると手鎖50日の刑で、しかも定信が老中から失脚して約10年後だったらしい。

午前8:02 · 2012年9月16日

 

日本の時代劇では徳川吉宗と大岡越前が進めた享保の改革は善政とされ、約1世紀後に水野忠邦と鳥居耀蔵が進めた天保の改革は悪政とされ、その反動で遠山金四郎が英雄視されるが、間の寛政の改革は評価が定まらず、松平定信と長谷川平蔵を時代劇で善玉にするか悪玉にするか脚本家も苦労しているようだ。

/午前8:34 · 2012年9月16日//

 
大衆は税金の無駄遣いを批判しながら、政府が経費削減を試みて公共事業などを廃止する方向で進めると、今度は生活や娯楽を奪われるとして嫌がる。これは江戸時代も同様で、大衆は松平定信の寛政の改革を一度は歓迎しながら、後に「元の濁りの田沼恋しき」となった。
 
必殺シリーズ等では文化文政時代は法など有名無実で不正が横行。そこで仕掛人や仕置人が活動した。一方、これに対する反動で幕府が天保の改革で引き締めを図ると、演劇も音楽も文学も禁止され、やはり庶民は苦しみ、水野忠邦や鳥居耀蔵が失脚すると大衆は喜んだ。
 
日本の多くの時代劇では、元禄バブルの後、享保年間に吉宗が改革を行った。これはバブル→引き締めの流れだ。一方、元禄時代は綱吉による生類憐みの令の縛りが民衆を苦しめ、綱吉没後、家宣が憐みの令を廃止。これは縛り(引き締め)→解放という流れであった。