「水戸黄門」の光圀は綱吉に犬の皮を贈ったことになっているが、生類憐みの令を廃止させるには至らず、柳沢吉保に寝返った藤井紋太夫を手討ちにしたものの、吉保を幕政から追放することはできなかった。しかし光圀は没後9年経って勝利したとも言える。
 
「水戸黄門」の光圀がやっていたことは生類憐みの令の悪用を防ぐための監視と、綱吉の次の将軍に甲府宰相綱豊(家宣)を推すこと、そのために柳沢吉保の息子・吉里が「綱吉の落胤」として将軍を継ぐのを防ぐことであった。
 
1700年に水戸光圀が没して9年後の1709年、今度が綱吉が他界。柳沢吉保は幕政から離れ、光圀の「望み」通り綱豊が将軍の座を継ぎ、綱豊改め家宣は生類憐みの令を即刻廃止した。こうなると綱吉没後の幕政は光圀の思い通りになったようである。
 
「水戸黄門」では密貿易と討幕運動は悪行として潰される。光圀がやっていたことは幕藩体制と身分制度と鎖国政策の維持だった。しかし「おしん」や「獅子の時代」を見ると日本が開国して江戸幕府が滅んだ後も庶民の苦しみは相変わらずだったようだ。
 
「水戸黄門」で光圀がやっていた「世直し旅」はフィクションだが、一種のモグラ叩きで、根本的な腐敗防止になっていなかった。もっとも光圀が討幕運動を潰していたのは、政治システムや権力者がかわっただけでは、社会問題は解決しないと知っていたのだろうか。
 
東野英治郎の「水戸黄門」第1部第2話を見ると柳沢吉保と藤井紋太夫はまず紀伊綱教(吉宗の兄)を綱吉の次の将軍に推し、その次に柳沢の息子・吉里を「綱吉の子」に仕立てて将軍にする考えだった。実際は綱吉の次が家宣→家継→吉宗だったのは周知の如し。
 
42年続いた時代劇「水戸黄門」で隠居後の光圀がしていたのは、「大日本史編纂」の他、幕臣や役人が生類憐みの令を悪用しないよう光圀が幕府や市井を監視すること(憐みの令の廃止ではない)、そして甲府宰相綱豊(家宣)を綱吉の次の6代将軍に押すことであった。
 
「水戸黄門」という時代劇は結局、
1.生類憐みの令を悪用する柳沢吉保らvs悪用を防ぐ光圀 
2.綱吉の次の将軍に綱教と吉里を推す吉保vs綱豊(家宣)を推す光圀 
というイデオロギー対立の物語であった。各地の悪代官などは光圀の管轄外で、各地の藩主に報告すれば後はどうでもよかった。
 
@toshi_fujiwara @naoki_ma @guruado 「江戸を斬る」の第2部以降で水戸斉昭が登場しましたね。森繁久彌が演じていました。「八重の桜」で伊吹吾郎が斉昭を演じたのも何かの縁ですかね。「水戸黄門」では討幕と密貿易が悪で、開国が正義になり得ないのが限界でした。
posted at 01:17:49
 

@kyogoe 再放送の「水戸黄門」と「相棒」で原田龍二が被るという例はありましたかね。なお森繁久彌が吉良上野介、里見浩太朗が大石内蔵助を演じた「忠臣蔵」では「水戸黄門」「江戸を斬る」「長七郎江戸日記」の出演者が集合して、見ていてその豪華キャストに驚き、感動したものです。

午後11:03 · 2013年11月14日

 

時代劇で水戸黄門がしていたこと
1.綱豊(家宣)を綱吉の次の将軍にする。
2.生類憐みの令の悪用を防止。
3.密貿易摘發(鎖国体制強化)。
 
 
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