@honyarakasan 83年組では太田貴子、伊藤麻衣子、桑田靖子、岩井小百合、ザ・グッバイ、チェッカーズ、大沢逸美がいたと思います。飯島真理はアイドルかどうか微妙です。尾崎豊はロック歌手でしょう。
posted at 22:00:04
 
@_CreamyMami_ クリィミーマミさんのデビュー30周年が目前。一同、準備はいいか。自分はこれを書き込んでいた時、太田貴子さんの「夏にあわてないで」を聞いていた。
related tweet
posted at 04:55:36
 
クリィミーマミのデビュー30周年。マミの活動期間はほぼ1年だったので、クリィミーマミの最後のコンサートからもうすぐ29周年。マミが光の中に消え、俊夫の後ろから優ちゃんが声をかけ、二人が雨の中一緒に帰宅した雨の夜(だったと思う)からもうすぐ29年前。
posted at 19:19:10
 
@_CreamyMami_ 昨日はデビュー30周年でしたね。おめでとうございます。GyaO!で第1話を改めて拝見しましたが、一人娘なのに結構おてんばで危ないことをなさっていましたね。ご両親もさぞ心配だったでしょう。
posted at 07:37:32
 
 加賀八郎は1983年のザ・グッバイのデビュー当時、25ansだったわけだ。4人の中でも年上だったわけだ。1988年の「アルバム」はLPで2枚組だったが、最初のCDが1枚で、後に本来の2枚組で再発売(發賣)。結局、両方購入した。
posted at 14:15:52
 
飯島真理はデビュー30周年で、同期でいまだに歌手活動をしている人は有名な人だと太田貴子と藤井フミヤ(チェッカーズのデビューから30年)、曽我泰久(ザ・グッバイのデビューから30年)、栁沢純子くらいか。尾崎豊は既に故人である。伊藤麻衣子は女優業が本業となっているだろう。
posted at 06:05:41
 
クリィミーマミのデビュー30周年。マミの活動期間はほぼ1年だったので、マミの最後のコンサートから29周年。マミが光の中に消え、俊夫の後ろから森沢優が声をかけ、二人が一緒に帰宅したと思われる雨の夜が今から29年前。当時は梅雨明け前だったのだろう。@kyojitsurekishi
posted at 02:41:19
 
@pakipakilemon 太田貴子さんと飯島真理さんは1983年の同期デビューですから。ただ当時、高校生と大学生の年齢差はありました。
posted at 03:36:30
 
@tanusuke45 「TVの向こうの戦争」であればザ・グッバイの「TRUE LOVE」で歌われています。
Revolution No.9+6
藤井フミヤの同名曲とは別の歌です。
posted at 16:26:07
 
@mansakunoHANA クリィミーマミがデビューした1983年当時、一応、ポケベルはあったようです。「いいとも」のテレフォンショッキングで松田聖子がポケベルで呼び出されたことがあります。勿論ポケベル普及は10年くらい後で「ポケベルが鳴らなくて」は1993年のドラマでした。
posted at 21:51:52
 
 
尾崎豊は去年が没後20周年だったが、今年はデビュー30周年(1983デビュー)だ。

尾崎豊伝説 “起点”は大阪にあった 「デビュー30周年コンサート」
配信元:産経新聞
2013/03/30 14:53
posted at 04:46:48
 
「クリィミーマミ」放送30周年の記念イベントやコンサートが盛んだが、歌手・太田貴子の歌手デビュー30周年記念も兼ねているのだろうか?ちなみに同期にはチェッカーズ、飯島真理、柳沢純子、ザ・グッバイ、伊藤麻衣子がいる。
posted at 04:51:06
 
藤井フミヤさんに福岡県久留米市が文化章 : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
posted at 09:24:43
 
昭和の懐メロ:中森明菜さんの「少女A」(「いわゆる普通の17歳」の歌)は如何でしょう。 
@atuwosyousa あっという間に一日が終わる…。きっと人生もあっという間に終わるのね…。まだ17歳で良かった(/ _ ; )
posted at 19:11:25
 
19歳のかたは1994年9月29日生まれですか?その場合、おそらく小学校入学が2001年4月、中学進学が2007年4月、高校進学が2010年、今年2013年3月高校卒業…時の流れを痛感しておる次第です。
 
posted at 19:25:04
 
posted at 19:26:46
 
@koma1998 ビートルズもザ・グッバイも完全な再結成は無理だろう。ドリフターズしかり。クレージーキャッツになると鬼籍に入った方が多くなってしまった。活動再開したサザンオールスターズの場合、デビュー当時の6人は健在だが大森が脱退してバンドに戻るのはほぼ不可能。
posted at 21:18:34
 
チェッカーズはドゥーワップを得意とするバンドだったらしく、ボーカルがフミヤ、マサハル、モクの3人なのもそのせいで、アルバムではその3人のボーカルの個性が出ていたが、シングルA面だけ聞くとフミヤ以外のボーカルの必要性が薄れ、FM誌で読者から「メンバーが余っている」等と酷評されていた。
 
チェッカーズがデビューした1980年代半ばは「プロの作詞・作曲家に歌を作ってもらうのは『アイドル』で、自分で曲を作るのが『アーティスト』」という今思えば無意味な区分があって、チェッカーズも吉川晃司もデビュー数年で自作曲で勝負するようになった。
 
自作曲をシングルA面にしたチェッカーズはフミヤがボーカルで、マサハルがキーボード、タカモクがドラムまたはタンバリンという風にフミヤ以外の全員の楽器を任せたりしていた。これは6人だったサザンオールスターズにサクソホンを合わせたような編成だった。
 
前後一覧
2013年10/1~5
 
関連語句
チェッカーズ [1] [2](内容検索)
30周年 1983 デビュー(タイトル検索) 

参照 
/チェッカーズとSMAP/