戦後編
1947年(昭和22年)
12月
ゲンは小学4年生。隆太、ムスビたちと再会。勝子と出会う。
隆太たちがヤクザの抗争に使われドングリ死亡。
12月6日、翌日の天皇訪問を教師から聞いたゲンが下校しながら天皇を批判。「天皇は戦争を起し日本中の街を焼け野原にして数えきれない人を殺した犯罪者」という趣旨。
12月7日、天皇広島訪問。
平山松吉がゲンたちと出会う。
勝子が水を汲みに行ったら近くの人が「ピカの毒がうつるんじゃないか」。
12月31日、隆太がヤクザと別れる。
1948年(昭和23年)
1月1日、学校で天皇へ敬礼。ゲンがこれを拒否し天皇を戦争責任者として批判。
ゲンが町内会長・鮫島伝次郎と再会。昭からの報告で君江が病気と判明。
君江を診察した医者がABCCを紹介。隆太たちが浮浪児狩りから逃れるため平山松吉の養子に。
1月6日、ABCCで君江が「標本」扱いされる。浩二は九州の炭鉱に出稼ぎ。
ゲンと隆太が米兵に骸骨を売る兄弟と出会う。ゲンたちも骸骨売りをする。
松吉が原爆の悲惨さを書いた本を出そうとするが、GHQが原爆の悲惨さを隠すために言論統制をしていて、本の製作は難航。ゲンは「先生はアメリカは民主主義の自由の国だとほめているけどうそじゃのう」。
ゲンと隆太がヤミでコメや味噌を入手。朝鮮人の横暴さに隆太が怒るが、ゲンは理解を示す。浩二は九州で酒におぼれる。
君江は衰弱して粥を食べられず。昭が漢方薬を作る。隆太が賭場荒らしをして君江の入院費を稼ぐ。隆太はヤクザから逃れるために警察に自首。
7月、ゲン(推定小5)が夏江と再会。ゲンとムスビが大同造船所から金属を盗んでカネにしようとするが舟が沈んで頓挫。土手に埋もれた銃弾を集まる。地元の人間2名が権利を主張して邪魔するが、松吉がゲンたちを守るために刃物で己の腕を刺して死への覚悟を示す。
夏江と勝子が洋裁店を開く。
ゲンか中本印刷所を訪れるが原爆のことを書いた本の印刷は断られる。印刷所の人間が「日本兵がアメリカ人捕虜にゴボウを食べさせたり、灸をしてやったら、戦後、米兵を虐待されたと言われた話」をする。
隆太が年男と共に感化院から戻る。年男から財産を奪った男に復讐、その男から金の延べ棒をもらう。
朴さんが紙を手に入れ、『夏のおわり』出版に協力。朴さんは「日本人が朝鮮を併合して朝鮮人を日本本土に連行してきたせいで朝鮮人が被爆した」「戦後、祖国に戻ろうとした人たちも海の事故で多数死んだ」として原爆の恐ろしさを本にすることに賛同。朴さんは「日本では誰も助けてくれない」「朝鮮人被爆者はすっかり忘れられている」としている。
韓国人被爆者がアメリカでなく日本企業に対して訴訟を起している裏にはこういう「朝鮮人被爆は第一に日本のせい」という思想があるのだろう。
『夏のおわり』出版。松吉死去。ゲンと隆太がアメリカ軍政部に連行される。日系アメリカ人・マイクヒロタ少尉の「原爆は真珠湾への報復」論にゲンが反論。
マイク・ヒロタは原爆投下の理由として「日本が真珠湾で卑怯なだまし討ちをしたから」として「原爆で戦争を終わらせてやったから感謝しろ」と言った。これに対しゲンは「原爆では幼い子供も死んで、今(戦後数年)でも原爆症で苦しんでいる人がいる」「アメリカの真珠湾でそんなことが起きたか」と反論。
しかし、ゲンは別のところで「もし原爆投下がなかったら日本は無謀な戦争を起こして日本民族は滅んでいた」「日本人は広島と長崎の犠牲者に感謝しないといけない」と語っている。ゲンは「真珠湾への報復」による原爆正当化にくみしないものの、「原爆で戦争が終わった」という認識ではアメリカと同じ。
しかもアメリカ人は「原爆によってアメリカ兵が救われた」としているのに対し、ゲンは「原爆によって被爆地以外の日本人も救われた」と考えており、結局、日系アメリカ人が言った「感謝しろ」に同意していることになる。
ゲンと隆太、角砂糖作戦で米兵のジープを次々と壊す。ゲンが帰宅すると君江が退院して戻っている。
昭の知らせで、君江が原爆症で余命短いと判明。
君江が反戦運動家「杉田さん」の話をする。ゲンが肥料集めで3万1000圓の収入。
夏江と勝子が君江に服を贈呈。浩二が戻る。
一家で京都に旅行。君江死す。
ゲンが昭和天皇とマッカーサーの両方の戦争責任を語る。
火葬された君江の骨が白い粉のようになっていた。
1949年7月20日に水原茂帰国(アニメ『巨人の星』)。
1950年6月、朝鮮戦争始まる。ゲンは中学生。
ゲンが1945年度で小2だったとすると1937年度(1937~38年)生まれ。
これから計算すると小学校卒業は推定1950年春。
警察予備隊発足で、ゲンの恩師・太田が激怒して飲酒。
原爆の日の平和集会は中止。ゲンたちが反戦を訴える行進。
隆太が広島カープを応援。
ゲンが相原勝男と出会う。
黒澤明監督の映画『羅生門』 (1950年)公開。
「平和都市建設」の名目でゲンたちのバラックが取り壊されることになる。
夏江入院。
12月30日、夏江死す。
1951年
1月
ゲンが画家の天野星雅・孫の達郎と出会う。
1953年3月、ゲンが中学を卒業。汐文社の単行本ではここから第10巻。
ゲンは卒業式で「君が代」斉唱を拒否し、「青い山脈」を歌う。
ゲンが「旧日本軍の蛮行(三光作戦)」を鵜呑みにして語ったのもこのシーン。
2013年8月に松江市などで問題となったシーンもこれ。閲覧制限撤回が決まった後、2013年8月27日朝日新聞の朝刊と夕刊にこの「問題のシーン」が掲載された。
この「三光作戦」は中国による捏造という説もある。日中戦争がはじまったのは1937年(昭和12年)でいわゆる「南京大虐殺」はこの年とされるが、中沢啓治自身はその2年後の1939年に生まれ、これは欧州(欧洲)で第2次大戦が始まった年。1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃の時、中沢啓治は3歳。
旧日本軍の中国での戦いは1937年から1945年までであろう。中沢啓治自身は広島で生まれ育ち、「終戦」当時6歳。旧日本軍が日本以外のアジアで何をしたかは直接には見ていないはず。通州事件も1937年に起きており、やはり中沢啓治は当時はまだ生まれていない。
「三光」は「~し尽くす」がシナ語で「~光guang」であることを知らないと理解できないもので、日本人がこのような作戦名を使うとは考えにくい。
ゲンが光子と出会う。6月15日までゲンはため息の連続。
ゲンが光子に惚れるが、光子の父親は戦争肯定派でゲンと対立。
ムスビが「悪人」たち(ヤクザか)に騙されて麻薬中毒。光子は原爆症で死亡。
ムスビも死亡。隆太が仇討。隆太と勝子はトラックの荷台に隠れて東京へ行き、ゲンも広島を離れ、蒸気機関車で東京へ向かう。ゲンが広島を離れたのはこの時が最初で、マンハッタン計画や日本軍の蛮行など見ているはずがない。
勝子が戦争を始めた天皇や原爆投下を命じたアメリカのマッカーサーなどを批判。
ゲンが「原爆が戦争を終わらせた」論を語る。
ゲンは「天皇と旧日本政府が戦争をやめなかったからアメリカが原爆を落とし、原爆によって戦争が終わって、日本民族の滅亡も防がれた」と語り、「原爆は日本のせい」という「原爆容認論」を語っている。
 
 
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