時代劇の嘘を批判する本は時代劇がブームだった時代に支えられていたわけだが、逆に時代劇の嘘を批判する本は時代劇の宣伝や人気向上には貢献していなかったということになる。知らない作品が取り上げられているのを見てもそれで見たいとは思わない。
また「信長の敵将の頭蓋骨を杯にした」という説があるが「江~姫たちの戦国~」では、トヨエツ扮する信長がこれを流言として否定し、頭蓋骨を前に敵将に哀悼の意を示したと説明していた。
「おんな太閤記」で「お市が信長に小豆の袋を送った逸話」が描かれたが、これも「江」では市が袋を投げ捨てて、信長に送るのをやめたことになっている。
「江」の中の「信長の杯」と「お市の小豆の袋」に関する異説は、スタッフが「史実」を重視するか新説を紹介する意味で採用したのだろうが、一般にはこういったことは余り話題にならず、江姫の伊賀越え参加や清州会議盗み聞きなどの脚色が批判されている。
つまり時代劇について「史実と違う」という批判をする人は多いが、時代劇のスタッフがそれで「史実」に近づける試みをしても、大した評価はされないということだ。
大野敏明氏によると大河ドラマ「平清盛」のように平安時代末期の日本人が皇室を「王家」と呼んでいても不思議ではない。幕末には「尊王攘夷」が叫ばれ、明治15年(1882年)の軍人勅諭には「王事に勤労せよ」ということばが出てくるらしい。#平清盛 #王家
大野敏明氏によると日本の皇室は「王」でなく「皇」であるという認識が確立するのは明治時代の後半からで、昭和に入ると「皇國」「皇軍」「尊皇討奸」ということばが登場したらしい(2012年6月3日、産経HP掲載、「皇」と「王」の違い)。#平清盛 #王家
春日太一氏によると、大河ドラマのスタッフが男を主人公にして重厚なドラマを作ると視聴率が下がり、「利家とまつ」から女性向け路線が強化されたらしい。そして春日氏も鈴木嘉一氏も「江」には批判的だった。
大野敏明氏は「坂本龍馬は笑わなかった)(2012年5月31日)で2010年の「龍馬伝」、2011年の「江~姫たちの戦国~」と「水戸黄門」最終回スペシャルなど数多くの「歴史ドラマ」について時代考証の「間違い」を指摘している。
「水戸黄門」最終回SPで光圀と綱吉の信頼関係が事件を解決したことについて、大野敏明氏は生類憐みの令が出てから光圀と綱吉の間が険悪だったと述べ、柳沢吉保も光圀を目の上のタンコブ扱いしていたと述べている。それなら過去のシリーズからの流れを論じてほしい
「水戸黄門」の初期作品では光圀が綱吉に犬の皮を贈った話が描かれ、終了寸前の作品では憐みの令も人命尊重と動物愛護のための法令で、柳沢吉保ら幕臣や各地の権力者が悪用していたことになっている。大野氏がその辺も見たのかどうか、この本ではわからない。
石坂浩二主演「水戸黄門」第29部では光圀と綱吉の確執により、光圀が隠居に追い込まれる過程が描かれていたようだ。「史実」を重視する大野敏明氏が著書(「坂本龍馬は笑わなかった」)で水戸と黄門を取り上げながら第29部に言及していないのは惜しい。
春日太一氏は「なぜ時代劇は滅びるのか」で、「江」に比べて「平清盛」と「八重の桜」はまだよかったが、多くの視聴者が「江」で呆れ果てて大河ドラマを見なくなったと分析。そうかも知れないが、NHKは「江は成功、清盛は失敗」と見て「江」の路線を続けるだろう。
大野敏明氏の「歴史ドラマ大ウソ」198~199頁によると、江戸時代には「勤王」はあっても「勤皇」の表記はなく、幕末の頃には「尊王」はあっても「尊皇」はなく、「尊皇」は昭和になってから使われたらしい。「平清盛」で皇室が「王家」でもおかしくなかった。
時代劇は「史実」の「研究発表」ではない。時代劇の「ウソ」を指摘する人の本はただ「ここが史実と違う」と言う知識を羅列するだけ。時代劇のイメージによる「誤解」で世の中にどんな「問題」が起きているかという具体的な実例がない。
大野敏明氏は水戸黄門最終回SPで綱吉が光圀を信頼している描写について「そんな信頼関係はなかった」としている。第2部や第29部を見ればあのシリーズでも両者の関係に紆余曲折があったことがわかるはずだが。
大野敏明氏は著作で「水戸黄門」の時代考証を批判して、史実では生類憐みの令が出てから光圀と綱吉の間は険悪で、また柳沢吉保も光圀を目の上のタンコブ扱いしていたと述べている。第29部は正にそういう話だったようだが大野氏は第29部を見ていなかったのか?
大野敏明氏は著作で水戸黄門の時代考証を批判し、「史実」では光圀が何度か将軍に生類憐みの令の撤回を求めたと書いている。水戸黄門第2部第33話で光圀が綱吉に犬の皮を送ったのだが、大野氏は見ていないのだろうか。
東野英治郎や石坂浩二が主人公の水戸黄門では、光圀が柳沢吉保と政治闘争を続けており、綱吉は光圀の味方のようでいつ敵になるかわからなかい存在だった。大野敏明氏は里見黄門の一部を見て光圀と綱吉の関係が良好である点を「史実と違う」と批判していたが、それはシリーズ全体を見ていないだけの話だ
「水戸黄門」最終回SPの時代考証に関しては大野敏明氏が「坂本龍馬は笑わなかった」(産経新聞出版)で批判していた。「水戸黄門」の時代考証を細かく指摘する人たちは大野氏と同類だろう。
〔クレイドール@Tanbarin1990さん〕
こんな水戸黄門は嫌だ 「向こうがワルなら儂らはその上を行くワルにならなきゃいけねえ。儂らはワルよ、ワルで無頼よ」
必殺仕事人の「主水は葵の紋を斬れるか?」にあるように徳川の権威を使って相手の抵抗を封じるのは悪人のすること。水戸黄門はある意味で悪の上をいく大悪だろう。
AmebaBlog>〔大河ドラマが「史実と違う」という批判について〕
AmebaBlog>〔『歴史ドラマの大ウソ』(大野敏明著、産経新聞出版)・その2〕
T-CupBlog>『歴史ドラマの大ウソ』
<平成23年>2011/7/20 2:45