『柔道一直線』は1964年東京五輪の柔道無差別級決勝で日本人選手がオランダのヘーシンクに敗れた1試合を「屈辱」とする見方から始まる。時期は『巨人の星』と同じで、車周作と一条直也の師弟は星一徹と星飛雄馬に似ている。『柔道讃歌』も『柔道一直線』の「東京五輪以来のリベンジ」の世界観を受け継いでいる。
『柔道一直』の絵は永島慎二から斉藤ゆずるになったが、最終回を観る限り、絵は川崎のぼるの画風をそっくりである。
巨人の星 ___柔道一直線
侍ジャイアンツ__柔道讃歌
『柔道一直線』の最終回で周作は直也の活躍をテレビで観ながら息を引き取る。これはアニメ『新巨人の星II』の最終回で一徹の死という形で受け継がれる。
番場蛮の母は野球とは無関係だが、突進太の母・巴輝子はかつて女三四郎と呼ばれた柔道家・朝香輝子であった。
また、巴突進太の師匠となる利鎌竜平(とがまりゅうへい)は、巴の母に負けて自暴自棄となって短い命を落とした柔道家の弟であり、初めから師匠が最大の敵であった。これも番場蛮が巨人を中から倒そうとして巨人に入団した展開と似ている。
星飛雄馬は母親を失い、父、姉と暮らしていた。左門豊作は両親とも死亡できょうだいたちと生活。これはのちに川崎のぼるの『てんとう虫の歌』に受け継がれる。
『あしたのジョー』と『柔道一直線』は師弟の話で師匠が親代わりであった。
『侍ジャイアンツ』と『柔道讃歌』では母と息子がメイン。
『タイガーマスク』は「虎の穴」と「ちびっこハウス」という孤児育成施設の対照を描いているようである。
『柔道讃歌』に登場した特訓は、柔道部のコーチとなった利鎌が海岸で部員に20kmの長距離マラソンをさせ、後半の10kmは隣の者をおぶって1km交代で走らせた。疲れて「もう動けない」と言った者が出ると、利鎌は彼らを海に投げ込み、彼らが必死になって海岸に戻ったときに「動けるではないか」。このように、一歩間違えれば刑事事件になりそうな危険なものが多かった。
平成25年tw
梶原一騎原作の「柔道讃歌」では高校柔道部のコーチが浜辺で部員にマラソンをさせ、疲れて「もう動けない」と言った部員を次々を海に放り投げ、その部員たちが必死に泳いで浜辺に戻ると、コーチは「泳げるではないか」。
梶原一騎原作の「柔道讃歌」では高校柔道部のコーチが部員の親たちに「指導の結果、生徒たちがどうなろうと学校に抗議しない」という誓約書への捺印を要求していた。40年前の日本ではこういうスポ根が人気だったわけだ。
「柔道讃歌」に出てきた凄まじい「特訓」を見るとこれはもう「体罰」などというレベルのものではない。
〔虚実歴史漢字論懐メロさん (@kyojitsurekishi) / Twitter〕
twilog検索 〔虚実歴史漢字論懐メロ(@kyojitsurekishi)/「柔道」の検索結果 - Twilog〕
梶原一騎原作の「柔道一直線」(1967)と「柔道讃歌」(1972)では1964年の東京五輪で日本柔道が決勝で一度負けたことを「屈辱」として、そこからどう立ち直るかがテーマになっている。
<平成25年>〔午後7:04 · 2013年1月31日〕
└→〔東京五輪の柔道がヘーシンクに敗れた件はそれほど「屈辱」か?〕
ロンドン五輪の日本男子柔道は金メダルがなく、女子柔道で金メダルが1個だった。マスコミはこれだけで日本柔道の危機のように大騒ぎした。監督も選手もそれでプレッシャーを感じていただろう。
スポーツはルールを守るのが基本だが柔道の監督が選手を殴るのは柔道の指導法としては反則になっていたわけだ。日本で「柔道がJUDOになってしまった」などと嘆く向きが多いが日本が守ろうとした「柔道」とは指導者が選手を殴って「奴隷」にする世界だったのか。
平成28年tw
〔CRISSYさん (@gfo102) / Twitter〕
NTV program
「Samurai giants 」1973(Tokyo movie ) Comics 1971-1974
「Judo sanka 」1974(Tokyo movie ) Comics 1972-1975
〔Cem ELDENさん (@CemELDEN) / Twitter〕
💻Judo Sanka - ultimo capitulo (27) parte 3de3💻 @YouTube aracılığıyla
学校で体育系のクラブに入らなくてよかった。命がいくつあっても足りない。
『柔道一直線』『柔道讃歌』【作品】 - Yahoo!ブログ
『柔道一直線』(『巨人の星』とほぼ同時期の作品) 『柔道讃歌』(『侍ジャイアンツ』とほぼ同時期)【作品】 - Yahoo!ブログ
平成29年tw
梶原一騎作品
侍ジャイアンツ(#水木一郎=松本茂之、子門真人)
新巨人の星II(水木一郎)
空手バカ一代、柔道讃歌(子門真人)
タイガーマスク二世(水木一郎)