将軍家の隠密行動と忍び旅(「忍び旅型」と「江戸常駐型」)

今度は「江戸常駐型」を「城下探索型」にしてみる。第25部などに登場した四国高松藩の藩主は光圀の実子であり、その高松藩の若君・軽千代は藩主の甥にして養子であり、軽千代にとって光圀大叔父に相当。軽千代は身分を隠して城下に出たことがあり、光圀一行が入ったそば屋で偶然に遭遇。

 

また、第40部で光圀が訪れる秋田県鶴岡では、藩主の性質・密姫が光圀の姪であった。HPにある内容紹介をみると、光圀が鶴岡を訪れたところ、密姫が身分を隠して植林事業に参加していた。
どうも、身分のある武士が身分を隠して城下を歩くことは、光圀隠居の時代に光圀の親戚の間でどっと増えているように見える。

 

なお、『将軍家光忍び旅II』最終回で、家光は忍び旅を終えて江戸に戻っても、少しの間、浪人姿になって江戸市内を見物していた。これが松平長七郎、梓右近をへて徳川吉宗に受け継がれたか。

 

___ 忍び旅型__城下探索型 
戦国_ ______江___┌←豊臣秀勝の妻・・・『江~姫たちの戦国~』
___ ______↓___└→徳川秀忠の妻
___ ┌─────┘____ ______
_将軍 ↓__________ ______
03家光? 天秀尼________ 千姫の養女_・・・『姫将軍大あばれ』
03家光 徳川家光_______ 将軍本人__・・・『将軍家光忍び旅』
03家光 └────→梓右近__ 家光の弟__・・・『江戸を斬る・梓右近隠密帳』
___ ______│____ ______  (『江戸を斬るII』以降は家慶の時代)
___ ______↓____ ______
03家光 ______松平長七郎 家光の甥__・・・『長七郎天下ご免!』『長七郎江戸日記』
04家綱 ______│____ (家綱の從兄弟)
___ ______│____ ______
05綱吉 徳川光圀←─┘____ 水戸徳川家_・・・『水戸黄門』
___ ├────→松平頼豊_ 高松藩___・・・『水戸黄門』第25部
___ │_____(軽千代、光圀の息子の甥)
___ │_____↓____ ______
___ ├────→密姫___ 藩主正室__・・・『水戸黄門』第40部
___ │_____(光圀の姪)
___ │_____↓____ ______
___ └────→徳川綱吉_ ______・・・『水戸黄門』第43部
___ ______↓____ ______
___ ______徳川吉宗_ 紀州徳川家_・・・『水戸黄門』第28部、第38部
___ ______(源六、新之助)
___ ______↓____ ______
08吉宗 ______徳川吉宗_ 将軍本人__・・・『暴れん坊将軍』
___ ______│____ ______
___ 徳川綱條←─┘____ 水戸徳川家_・・・『暴れん坊将軍VIII』で綱條が忍び旅?
___ │__________ ______・・・享保の改革の時代に治貞と宗睦誕生
___ ↓__________ ______
10家治 徳川治貞_______ 紀州徳川家_・・・『殿さま風来坊隠れ旅』
___ 徳川宗睦_______ 尾張徳川家_・・・『殿さま風来坊隠れ旅』
___ ├────→家基___ 家治の嫡子_・・・『陽炎の辻3』
___ ↓_____↓____ ______
11家斉 松平信千代_↓____ 家斉の兄__・・・『隠密剣士』
___ │_____松平右近_ 家斉の弟__・・・『松平右近事件帳』
12家慶 │_____照姫___ 家斉のむすめ・・・『お江戸捕物日記・照姫七変化』
___ │_____│____ (家慶の妹?)
___ │_____↓____ ______
___ │_____雪姫___ 斉昭のむすめ・・・『江戸を斬る』で雪姫が紫頭巾に?
___ ↓_____│____ ______
12家慶 松平源九郎←┘____ 家慶の弟__・・・『源九郎旅日記・葵の暴れん坊』
13家定 ______ 一橋慶喜 水戸斉昭の子・・・NHK大河『徳川慶喜』

 

『暴れん坊将軍』における綱條は町人に変装して水戸から江戸に行き、江戸城下の路上で吉宗と会い、最終的に箱根まで行った模様。
吉宗の時代を舞台にした『おんみつ蜜姫』という時代小説もあるらしい。「密姫」と「蜜姫」では漢字が少し違う。
江戸を斬る』では水戸斉昭のむすめ・お雪が紫頭巾という女剣士になって金四郎をサポートしていた模様。

 

『姫将軍大あばれ』(1995年、テレビ東京)では秀頼のむすめ・天秀尼が千姫の養女となり、夏の陣のあとの家光の時代に柳生十兵衛らとともに忍び旅をしていたことになっている。
『影の軍団III』では家光の正室・千愁尼が明暦の大火(1657年)のあと、江戸市中で影の軍団の多羅尾半蔵と何度か会っていたらしい。

 

もともと鎌倉時代の「鉢の木」の逸話で、北条時頼が僧侶に化けて忍び旅をしていた話があり、1967年秋ごろ、『巨人の星』で川上監督と星一徹も話題にしていた。
また大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』によると1591年に千利休が切腹する寸前、江姫が炭屋に変装して茶室を訪れたらしく、江が利休と会ったことは結局、秀吉にも知られていた。しかもドラマでは江は秀勝と一緒に茶室に忍び込んだ。江と秀勝の縁談はそのあと。小説では江はいつもの炭屋とコンビで茶室を訪れたことになっていたはず。
江は家光の母親であるから、忍び旅の血統はここから始まったか。何しろ『江』では江は1582年の家康の伊賀越えにも参加したくらいで、清洲会議を盗み聞きし、1590年の秀吉と朝鮮使節の会談の座にもいたから、隠密行動は得意だったのだろう。これが息子の家光や梓右近、孫の松平長七郎に受け継がれたか。それが江と血縁関係のないはずの水戸徳川家や紀伊(紀州)徳川家にも受け継がれたことになる。

 

 

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