14世紀?/北条時頼/鉢の木
1579年 安土城に向かった江(数え年7歳)が駕籠から出て市内を走る(『江~姫たちの戦国~』)
1591年 江(数え年19歳)が炭屋に変装して千利休の茶室に入り、切腹をやめるよう要求
1615~1645年? 天秀尼(奈阿姫、1609~)が「世直し旅」(『姫将軍大あばれ』)
1628年 寛永5年、徳川光圀誕生
1634年 家光が素浪人に化けて江戸と京都を往復(『将軍家光忍び旅』)
1651年 慶安の変(由井正雪の乱、由比正雪の乱)
└→家光没、家綱が将軍に就任
└→松平長七郎が「上様の甥御さま」、のちに「将軍家お血筋」と紹介される
└→この前後 梓右近(保科正之の弟)、松平長七郎(徳川忠長の息子)が江戸で隠密行動
1661年 光圀が水戸藩主に(「史実」における「水戸黄門漫遊」AmebaBlog
1690年 元禄3年、光圀隠居
1691年以降 綱吉が江戸市中を視察(『水戸黄門』第43部「江戸」)
1690年代 光圀が讃岐高松で軽千代と遭遇(『水戸黄門』第25部「高松」)
1693年(推定) 密姫が鶴岡で植林活動、光圀と再会(『水戸黄門』第40部「鶴岡」)
1697年(推定) 光圀が紀州で吉宗と会う(『水戸黄門』第38部「紀州」)
1697年 光圀が敦賀訪問(『水戸黄門』第38部)
1705年 宝永2年、吉宗が紀伊藩主に(城下を視察)
1716年 正徳6年、享保元年、吉宗が将軍に(何度も城下を視察)
1716~18年 綱條が水戸から江戸を経て箱根まで忍び旅(『暴れん坊将軍8』10)
1761年以降 紀伊藩主と尾張藩主が忍び旅(『殿さま風来坊隠れ旅』)
家斉の時代 将軍の弟・松平右近が活動
1837年(天保8年)以降? 大御所・家斉の子・照姫が隠密行動(『照姫七変化』)
家慶の時代 将軍の弟・松平源九郎が忍び旅(『葵の暴れん坊』)
幕末 将軍就任前の慶喜が江戸市中に出る(大河『徳川慶喜』)
1854年 嘉永6年、黒船来航 
└→慶喜が「ひー様」として品川宿に度々来訪。西郷隆盛、橋本左内と出会う(『西郷どん』)

 

『水戸黄門』第25部第13話に登場した軽千代は松平頼豊(1680~1735)であろうが、頼豊は第42部第1話の時点で12歳。
この頼豊の長男が徳川宗堯(1705~1730)。1711年に綱條の養子となった。
『暴れん坊将軍8』第10話に登場した綱條の息子が宗堯である。
劇中では綱條は隠居だったが、綱條は藩主在職中の1718年の他界したはず。すると綱條の隠居期間は西暦1718年の1年間に満たなかったか。劇中では家宣・家継に仕えた間部詮房を幕政から追放するよう吉宗に進言したのは綱條で、間部詮房は幕政復帰を狙って綱條暗殺をたくらんで吉宗に阻止された。少し待てば綱條は天寿を全うしたのに、間部詮房は余計なことをしたものだ。
間部詮房は綱條没から2年後の1720年に他界した。

 

『陽炎の辻』で徳川家治の後継ぎだった家基が忍びで外出(実際に後を継いだのは家斉)。
里見浩太朗が遠山金四郎を演じた『江戸を斬る』では竹脇無我扮する家慶が忍びで町に出た。

 

令和4年tw

#水戸黄門」と「#暴れん坊将軍」の違いについて、綱吉の時代と比べて吉宗の時代には将軍の権威が失墜していたという解釈がある。こういう解釈で欠けているのが「将軍家光忍び旅」「長七郎江戸日記」「殿さま風来坊隠れ旅」「松平右近事件帳」との比較。 

/水戸光圀が正体を明かすと悪人たちはあきらめて大人しくなりますが... - Yahoo!知恵袋/

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/午後3:18 · 2022年7月5日/

 

西郷輝彦主演『葵の暴れん坊』も忘れてはならない。

/午後9:32 · 2022年7月5日/

 

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