飾り職の秀が「闇の仕事人」になったのはいつか

『新必殺仕事人』の最終回によると、秀はその時点から10年前に裏稼業を始め、偽医者を仕置きしたらしい。ここで「10年前」がいつのことか考えてみる。
中村主水が文政、天保、幕末に複数存在する以上、家族や奉行所の上司、仲間たちも同じと考えるべきで、秀も勇次も加代も鍛冶屋の政も組紐屋の竜も文政、天保、幕末に複数存在したと考えるべきであろう。
何しろ、組紐屋の竜は文政時代に殉職(『裏か表か』)しながら、天保(『意外伝』)と幕末(『ブラウン館』)に復活している。

 

さて、秀の「10年前」であるが、時代設定がほぼ明確なのは『裏か表か』の1820年(ネット上のクロねこHPで確認)、『必殺まっしぐら!』の1833年(『必殺仕事人2009公式ガイドブック』)、『仕事人アヘン戦争へ行く』の1842年、『必殺!主水死す』の1849年から1851年まで、また、クロねこHPでは『仕事人・激突!』第1話を1860年の話としている。
もうわかるように、ほぼ10年間隔で分布している。

 

『裏か表か』の場合、時代設定が1820年とすれば『仕事人2007』と同じで、10年前は1810年ごろである。
当時の秀は『2007』で主水が組んだ若い仕事人3名のうちの一人と近い年齢だったのだろう。

 

次に『必殺まっしぐら!』の秀は1833年に江戸と各地方を往復する出張仕事を繰り返していた。
ここから10年前は1823年。『裏か表か』の激闘から3年後であった。
こうなると『裏か表か』の秀と『まっしぐら!』の秀は別人か、あるいはそれぞれが文政と天保の2種類の可能性を持っていることになる。

 

『アヘン戦争へ行く』の場合、時代設定が1842年なので、10年前は1832年。
今度は秀が『まっしぐら!』で秀が出張仕事をしていたときの前の年になる。

 

『主水死す』の冒頭は葛飾北斎が死ぬ寸前で1849年。そのときの秀にとって10年前は1839年だから蛮社の獄のとき。からくり人グループがほぼ壊滅し、のちに秀が大坂で出会った仕掛の天平が生き残った時期であろう。ただ、『主水死す』の秀は主水と組んで数年か10年はかっていたとも考えられる。
すると、裏稼業開始は1829年から1838年までとも解釋でき、1833年の『まっしぐら!』の時期と重なる。もちろん、『まっしぐら!』の秀の裏稼業開始はさらに10年過去にさかのぼってしまう。

 

「10年前」に裏稼業を始めたときの秀は未成年とは考えにくいので最低で20歳。「仕事人」として主水と組んだときは30代にさしかかっていただろう。『まっしぐら!』の秀は主水グループから一時的に離脱していただけで、その後もまた主水と組んでいる。
もし、『まっしぐら!』の秀が1833年当時で30歳だったとすると、『主水死す』で主水の「爆死」を見届けた1851年当時の秀は48歳。いくらなんでも年を取りすぎだ。
また、主水を「文政の主水」「天保の主水」「幕末の主水」に分けた場合、「文政の主水」は1833年で33歳。秀が主水よりわずか3歳だけ年下というのも考えにくい。

 

@kyojitsurekishi

「新仕事人」で秀の最初の裏仕事は10年前。しかし「裏か表か」の秀は1820(文政3)年に闇の金融組織と戦い、その13年後に「まっしぐら」の秀が活動。更に9年後のアヘン戦争終結当時に秀が香港に行き、更に7年後の葛飾北斎没年に秀は主水と組んでいた。

午後10:31 · 2012年11月2日

 

「必殺仕事人」の秀は「仕事人」無印の時は25歳だったらしいが、「仕事人IV」最終回の人相書では30歳くらいと書かれていた。「仕事人アヘン戦争へ行く」で秀が主水たちと一緒に香港に行ったのが1842年。秀が当時30歳とすると25歳だったのは1837年。

午後10:44 · 2012年11月2日

 

「新必殺仕事人」最終回で秀が仕事を始めた時期が「10年前」だったと記憶しているがネットで見ると「8年前」という記述もある。明日の朝にでもTSUTAYAで探してみたい。

午後7:13 · 2013年3月7日

 

「新仕事人」最終回をDVDで再確認。中村主水がお藤の情報を勇次に話した時は「8年ばかり前におとっつぁん亡くしている」だったが、主水が秀に江戸から去るよう勧めた時は「10年前」になっていた。

午後1:41 · 2013年3月8日

 

 

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