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2006年2月、トリノ五輪が開催された。開会前、長野塩湖城でのメダリストまたは入賞者に期待が集まっていた。また、スノーボードも活躍が期待されていた。しかし、蓋を開けて見れば日本勢は最高4位が続き、ジャンプの原田は失格、大会後に引退を表明。期待されたスノボは軒並み予選敗退。終盤になって荒川静香が金メダルを獲ると日本中が大騒ぎとなり、小泉首相がトリノに電話をかけて荒川選手に状況を報告するほどであった。
荒川静香が大きな日の丸とともに滑る場面や、君が代演奏でくちずさむ場面は、日本のテレビでは意図的に避けられていた。荒川静香は日本選手団にとってメダル0の屈辱から救ってくれた救世主であった。
これと対照的に2010年のバンクーバーでは日本勢は銀と銅メダルのみで金メダルはなかった。

 

スケートリンクの閉鎖など、選手にとって受難の時代だったが、日本中が4年に1度、騒ぐだけで、どうすればメダルを獲れるかという国全体(つまり国民全体)のサポートを考えていない。
トリノ五輪が終わると、スキーもスピードスケートもメディアでは忘れ去られ、フィギュアスケート一色(いっしょく)になってしまった。それで、フィギュア以外の種目がなぜ敗退したか、検証はなし(現場の選手やコーチはやっているだろうが)。

 

『新約「巨人の星」花形』について
2006年36・37号(8/23・30号)の『週刊少年マガジン』で村上よしゆき作画の『新約「巨人の星」花形』が巻頭カラー80ページで始まったが、完全に無視することにする。花形のイラストは当時の雑誌の表紙を飾っていた相武紗季のようで、誰の顔かわからなかった。

 

夏の甲子園
2007年、夏の甲子園(第89回全国高校野球選手権大会)に新潟明訓高校が出場。2番センター・岩城(岩鬼ではない)の活躍もあり、明訓は岩手代表の花巻東を破り、山梨の甲府商を破ったが、最後は岐阜の大垣日大に敗れた。

 

2007年、甲子園で新潟明訓と甲府商業が対戦したときは、「川中島の合戦の再現」と言われた。

 

『ドカベン・スーパースターズ編』で西暦2007年の日本シリーズはスーパースターズ×中日。『ドカベン』の世界では日本ハムは優勝できなかったようである。

 

2007年1月、当時の安倍首相が明治神宮に参拝した。靖国だと周りが大騒ぎするが明治神宮ならいいのだろうか。政治家が明治神宮で結婚式でも挙げたら問題ないのだろうか。結局、「政教分離」を叫ぶ人が宗教に政治的に介入したがっているように見える。

 

2007年、巨人V9戦士が集合。しかし、王貞治はいなかった。星飛雄馬と番場蛮もいなかった。
このイベントに参加していた土井正三は2009年に没した。

 

新潟明訓の岩城は2007年の夏で高3だったらしい。すると誕生日は1989年4月2日から90年4月1日まで。
2008年3月で高校卒業。
一方、『ドカベン』の山田、岩鬼、里中、殿馬は1974年から1995年まで21年間高校生。
1991年に新潟明訓と対戦したときも高3で、1994年秋の時点でもまだ高3であった。
野球と比べると現実の高校球児は学校に在籍している期間が短い。

 

バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』は2007年2月の映画で、2007年3月が「現在」であり、「過去」は1990年当時。

 

平成3年に眞子内親王誕生。平成6年に佳子内親王誕生。平成13年に愛子内親王誕生。 女性天皇を認めるための皇室典範改正の是非が議論されていた。 平成18年9月6日に悠仁親王誕生。これで女帝議論は曖昧になった。

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/午前1:00 · 2022年3月10日/

 

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