Gulliver's Travels(『ガリヴァー旅行記』または『ガリバー旅行記』)
1699年5月4日、ガリバー(Gulliver)の乗った船が東インド地方を目指してブリストル(Bristol)を出航、難破して小人の国(Lilliput)に漂着した。

 

Y!辞書 ガリバー旅行記
Wikipedia ガリヴァー旅行記>旅行記の内容

 

ガリバー来日、将軍綱吉→家宣→家継から吉宗へ 

ガリバー来日、日本の皇帝が江戸にいた?
この1709年、ガリバーが来日。ガリバーは日本の首都、江戸を訪れ、「皇帝」に謁見し、「踏み絵」の中止を願い出たらしい。ガリバーによると、当時、日本の天皇は京都でなく江戸にいたらしい。あるいは、将軍がガリバーの前で「皇帝」を名乗っていた可能性もある。
『ガリバー旅行記』はそれから17年後、吉宗の享保の改革が行われていた1726年に出版された。この1709年、のちに7代目将軍となる家継が生まれている。

 

1710年、ガリバーの乗った船がポーツマス(Portsmouth)を出航。部下たちが叛乱を起こし、ガリバーは縛られ、船室に監禁された。1711年5月9日、ガリバーは近くの陸地で降ろされ、それが馬の国(Houyhnhnm)であった。
馬の主人(主馬?)が言うには「法律」がどうして必要かわからないらしい。人間が自ら称しているように理性的な動物であれば、何をしていいか悪いかはわかるはずだと言う。

 

ガリバーの説明によると、例えばガリバーの乳を隣人がガリバーの飼っている牛をほしがったとすると、その隣人は辯護士を雇って自分が牛の所有権を持っていることを証明してもらい、ガリバーも別の辯護士を雇うことになると説明。ガリバーによると、辯護士と言うのは虚偽を辯護するのが專門で、正しいほうを辯護するのは魚が陸に上がったも同然。法廷では牛の所有権についての本題を避け、牛の色、角の形、乳を絞るのは屋内か屋外か、牧場の形など、些細なことの論議で時間を浪費し、最後は判例で片付ける。この結果、先祖代々から受け継いでいる畑が自分のものが、300マイル遠方にいる赤の他人のものか、裁判で決めるのに30年かかる。
 
21世紀の日本における医療や飲酒運轉、殺人事件などをめぐる裁判も似たようなもので、道徳も常識もなく、法律をもとにしないと何も判断できず、加害者でも被害者でもない部外者が勝手な判断をする場である。

 

享保の改革の最中、1726年に『ガリバー旅行記』が出版された。
 
1727年4月2日、ガリバーが從兄シンプソンにてがみを書いた。この文面は岩波クラシックス5、平井正穂(ひらいまさお←*ひらゐまさほ)譯『ガリヴァー旅行記』に記載されている。
└→日本人女医第1号は定説より早い?(『暴れん坊将軍』)

 

ガリバーが馬の国を訪れてから130年後、西暦1840年に遠山金四郎(1793~1855)が江戸の北町奉行に就任した。遠山奉行がおこなっていた裁判は裁判官自身が捜査官と目撃者を兼ねているもので、言わば、遠山金四郎自身も事件の当事者であった。
裏を返せば遠山は自分自身が個人的に関わっていない事件は裁けなかったのだろう。

 

時代劇の遠山裁きは裁判官本人以外にまともな証据も証人も用意できないもので、近代裁判制度の視点から見れば破綻している。万策尽きたときの非常手段ならともかく、これが日常化しては奉行所にろくな人材がいないと考えるのが妥当であるし、遊び人としての金四郎が奉行であることはすぐに江戸中に知れ渡ってしまう。

 

それでも、これが民衆に支持されているということは、当事者でない辯護士や裁判官に頼る裁判制度がおかしいということになる。それでいて何かと「法的処置」に出る人たちはそこをわかっているのか。
裁判に訴えるのが切り札と思ったところで、やってみたら敗訴という例は多いし、勝訴しても裁判官が味方しただけで原告は最後まで同意しないこともありうる。
└→『ガリバー旅行記』における「裁判」と「辯護士」について

 

ガリバーが訪れた空飛ぶ島・ラピュタ(Laputa)の名は、宮崎駿によってアニメに採用された。
1986年の『天空の城ラピュタ』で、『ガリバー旅行記』が出てから260年後であった。
Wikipedia によると、時代設定は19世紀後半。
└→宮崎駿(~はやお)作品【人物】【作品】

 

藤子・F・不二雄も「ガリバートンネル」という秘密道具を考え出した。テレ朝版のアニメで1979年4月に放送された第1話「ゆめの町ノビタランド」で出てきたトンネルである。

 

『タイムボカン』では第59話に「ぼくたちガリバーになったペッチャ」があり、『ゼンダマン』では第46話「巨人の国だよ!ゼンダマン」がある。

 

ジョナサン・スウィフト(~スイフト)は1667年生まれで大岡忠相より9歳上。それで1745年没だから吉宗が将軍の座を家重に譲ったとき、スウィフトが没したわけだ。
ところで「スウィフト」は一般的に「スイフト」と書かれないのか不思議である。
Swift が「スウィフト」、Swiss が「スイス」というのは統一性がない。

 

「ガリバー」の表記について
└→T-CupBlog>『ガリヴァー旅行記』

 

 

平成21年

 

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