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ガリレオ、ガリバー、享保の改革三方一両損『ガリバー旅行記』出版
─────────└→彗星(享保)


徳川綱吉の時代(『水戸黄門』『忠臣蔵』『ガリバー旅行記』)

綱吉が没した1709年、第6代将軍徳川家宣(~いへのぶ→~いえのぶ、1662生~1709着任~1721)は、綱吉の葬儀が始まる前に、早々と生類憐みの令を廃止した。
この1709年、徳川家継誕生。

ガリバー来日、日本の皇帝が江戸にいた?
この1709年、英国の船乗り・ガリバー(Gulliver、ガリヴァー)が来日。ガリバーは日本の首都、江戸を訪れ、「皇帝」に謁見し、「踏み絵」の中止を願い出たらしい。ガリバーによると、当時、日本の天皇は京都でなく江戸にいたらしい。あるいは、将軍がガリバーの前で「皇帝」を名乗っていた可能性もある。
『ガリバー旅行記』はそれから17年後、吉宗の享保の改革が行われていた1726年に出版された。この1709年、のちに7代目の将軍となる家継が生まれている。

1710年、ガリバーの乗った船がポーツマス(Portsmouth)を出航。部下たちが叛乱を起こし、ガリバーは縛られ、船室に監禁された。1711年5月9日、ガリバーは近くの陸地で降ろされ、それが馬の国(Houyhnhnm)であった。
馬の主人(主馬?)が言うには「法律」がどうして必要かわからないらしい。人間が自ら称しているように理性的な動物であれば、何をしていいか悪いかはわかるはずだと言う。
 
1711年に後の9代将軍・徳川家重誕生。

6代家宣(いへのぶ、1662~1709着任~1721)は新井白石、間部詮房(まなべあきふさ)を起用し、没後は幼い家継(1709~1713着任~1716)が7代将軍となった。
これは『忠臣蔵』と『暴れん坊将軍』(および『大岡越前』)の間の過渡期で、徳川吉宗は1684年に生まれていたが、まだ、将軍になる前の時代であり、吉宗の幼少からの生涯を扱った時代劇や「大奥」ものを除くと、扱っている作品が少ない。
TBS『水戸黄門』では、綱吉の時代に光圀が若き日の吉宗・源六(のちの新之助、吉宗)と会う話がある。元禄時代に源六とは覚えやすい名だ。


Wikipedia「徳川家宣」で「徳川家宣の登場する作品」が記載されていたが、2010年7月10日に削除された模様。

イケスミチエコの時代漫画『大奥』の表紙では英語の題 “Ohoku Love and Hatred History” も書かれ、「大奥」がアルファベットで Ohoku になっている。綴りが Ohoku で發音が [o:oku] というわけだ。これが「オホク」にならないのは、母音間の h を無音にして、前の母音を長くする符号にしたわけである。
「大奥」は歴史的假名遣いで「おほをく」、これをそのままローマ字化すれば Ohowoku である。
実際、実写ドラマ『大奥』のアルファベット表記では Ooku または O-oku が使われることが多いようだ。
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08年9/13