1970年(1)――ドラえもん常駐開始、伴宙太移籍

『巨人の星』KC16巻、文庫9~10巻「きのうの英雄きょうの敗者」
牧場春彦の漫画が連載された雑誌は『少年週刊マガジン』(会社はアニメで「少年マンガ社」)で、消える魔球の
90%までの秘密を写した分解写真が掲載された。スナップ写真より普通のビデオカメラのほうがよかった気がする。テレビ局が来ていないのも不思議。カメラマンは飛雄馬の投げたボールが本塁上にとどくまで何回、シャッターを押せたのか。

 

2008年10月28日の朝に観たアニメ第142話「ひきさかれた友情」では、ボールがマウンドから離れて本塁上に来るまでに、打席で左門が10~20回近くスイングしていた。その猛スピードスイングを頭に食らった伴の傷はすぐに治ったようだ。
└→左門豊作のスイング

 

最終的に星飛雄馬も伴に「中日へ行け」と言い、明子も同じことを言った。結局、伴は星親子3名から「巨人から去って中日へ行け」と言われたわけで、明子は伴を「おおきなぼうや」、一徹は伴を「とっちゃんこぞう」と言った。
飛雄馬と明子も一徹に反撥しながら、やっぱり一徹の子であった。
明子は宮崎でキャンプをしていた飛雄馬に助言をした。ここでも明子は飛雄馬と距離を置いており、飛雄馬を甘やかさない点は一徹に似ている。
└→T-CupBlog>宮崎キャンプと星一家

 

伴トレードの意味
中日としては帰国したオズマの代わりに伴宙太を獲得したのだが、巨人とのトレードなので中日の投手との交換であり、伴はオズマ」+自分と交換で巨人に移った投手(アニメ第147話「伴の替りに来た投手」では黒松という名)の代わりだったことになる。

 

川上監督が伴を中日に提供したのは投手を獲得することだった。堀内恒夫、高橋一三、渡辺秀武、金田正一、そして星飛雄馬がいながら当時の巨人は投手難であった。これは星飛雄馬が川上の命令に逆らって二軍に落ち、1箇月~数箇月試合を休むことを繰り返した(「左門の予告ホームラン」「不死鳥」)のも原因の一つだろう。伴が中日に引き抜かれたのは星が伴を鍛えなかったこと+星が勝手に試合を捨てていたからである。

 

「運命の対決」で川上監督は星飛雄馬の消える魔球と伴の対決が注目される中、ゲッツー兵器としての大LB1号にこだわり、飛雄馬をベンチに置いた。これは前シーズン、星の大LB1号の改良案を徹夜で考えながら飛雄馬に拒否されたからだろう。
└→左大リーグボール使用期間、続き
└→「顔でわらって心でなけ!」~「運命の対決」

 

伴宙太は明子に惚れて、自分を犠牲にして飛雄馬に尽くしていたが、それは星一家にとっては「ありがた迷惑」だったのだろう。
└→T-CupBlog>星明子の行動原理の謎III

 

前後一覧
2008年12月末