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昭和の初めの戦争白洲次郎、星一徹復員、李香蘭帰国、『純情きらり』『ドラえもん』シベリア抑留

満洲以外で「終戦」前後を描いたものには大河ドラマ『いのち』『山河燃ゆ』などがある。
朝鮮における日本の統治が終わった「終戦」から朝鮮戦争までは『海峡』で描かれている。

 

『瀬戸内少年野球団』は「終戦」直後の淡路島を描いている模様。
「終戦」前後、探偵・金田一耕助がさまざまな事件を解決(『犬神家の一族』『悪魔が来りて笛を吹く』『八墓村』など)。

 

金田一少年
金田一一(きんだいちはじめ)は金田一耕助の孫らしい。

 

星一徹の復員、李香蘭(=山口淑子)の帰国
1946年(昭和21年)、復員してきた星一徹(当時26歳)は当初、戦争で肩を壊しており、野球をする気がなかったが、妻・春江が一徹のそばに野球用具を置くことを繰り返し、一徹は壊れた肩をおぎなう魔送球を編み出して1948年に巨人に復帰。
しかし、魔送球のように急カーブする変化球は練習の段階で手首や肘を痛めそうなものだ。結局、川上哲治から「投手で言えばビーンボール」という理由で批判され、巨人を去り、なぜか、他球団に入らず、引退。魔送球はのちに星飛雄馬の大リーグボール2号として復活するが、番場蛮のハラキリ・シュートや犬飼知三郎(『大甲子園』)の(超)対角線投法のほうが魔送球の原型に近い。

 

岩田鉄五郎も「終戦」直後に復員し、のちの東京メッツに入団。「よれよれ18番」(講談社漫画文庫1巻)によると、当時、球団名は「東京倶楽部」で、「東京メッツ」でなかったはずだが、「コンピュータ審判」(同5巻)では鉄五郎初勝利でユニフォームに「METS」とあり、秀吉審判が戦時中と同様、「ストライク、バッターアウト」を「いいタマ、打者ダメ」と言っていた。

 

沢口靖子主演『さよなら李香蘭』によると、この年、山口淑子氏が帰国寸前で周りから「李香蘭」と見破られ、日本人だという真相を話して帰国させてもらい、乗り込んだ船のラヂオ(=ラジオ)放送で偶然、自分の歌を聴いたらしい。
そのときの曲は「夜来香(Yèláixiāng)」だったと想う。

 

「夜来香」と「何日君再来(Hérì Jūn Zàilái)」はその後、テレサ・テン(1953~1995)に受け継がれる。
上戸彩主演の『李香蘭』のホームページによると、李香蘭は昭和13年(1938年)に満洲映画協会の代表として初めて日本に来たとき(李香蘭は満洲生まれ)、入管係官から「一等国民の日本人が三等国のシナの服を着て、シナ語などしゃべって、恥ずかしくないのか。それでも日本人か!」と吐き捨てられたらしいが、その後、日本人がシナの服を着る機会は戦後、増えているし、酒井法子がシナ語で歌い、福原愛がシナ語で挨拶している。これも先駆者ゆえの苦難を味わった李香蘭の足跡あればこそであろう。

 

また、『あぶさん』の景浦安武(かげうらやすたけ)はこの1946年の12月17日生まれらしい。Wikipediaの史料では新潟県新潟市出身。のちに南海ホークス(→ダイエー→ソフトバンク)の打者となる。

 

1947年、インドが独立。
Mahatma Gandhi(1869~1948)の生涯が映画『ガンジー』で描かれている。

 

 

映画『戦場のレクイエム』は中国の国共内戦を描いている。
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2009年1月8日

 

Assembly
Во Имя Чести
Héros De Guerre

 

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2008年9/15

 

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