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関ヶ原江戸時代綜合、琉球、小次郎と武蔵大坂夏の陣家光家綱綱吉

 秀吉の時代は終わり、家康が天下を握る。
 アニメ『少年徳川家康』の主題歌の中の語りを聴くと、竹千代は少年時代から天下平定の使命を与えられていたようになっている。
 豊臣の没落は1894年に出た『桐一葉(きりひとは)』でも描かれている。
 1600年、オランダ船リーフデ(Liefde)号が豊後に漂着。英国人・ウィリアム・アダムズ(William Adams、1564~1620)が日本の武士「三浦按針」となった。
 映画『SHOGUN』にこれが記録されている。

 

 関ヶ原の戦いとは、いわば、ねねと茶々の対立が背後にあり、『おんな太閤記』ではそれが鮮明だった。
 映画『茶々・天涯の貴妃(おんな)』で茶々の歴史が描かれている模様。
 『功名が辻』は山内一豊(1546~1605)と妻・千代の物語。

 

 徳川幕府ができた1603年で安土桃山時代は終わり、江戸時代に入るが、時代劇では事実上、1615年の大坂夏の陣までが「戦国時代」である。
 『あずみ』『サスケ』も江戸時代初期の話である。
 白土三平の『ざしきわらし』によると、伊賀と甲賀の戦いの中で、伊賀の年老いた下忍・ダンズリの小助が逃走した。小助は東北の村で「ざしきわらし」となって百姓の子供を助け、忍法・月の輪で城主からの追っ手を倒し、絶命。

 

 大河ドラマ『琉球の風』によると、1610年、琉球の尚寧王(しゃうねいわう→しょうねいおう)が徳川家康と会っていたが、明と日本の力関係の中、薩摩の「侵略」で併合された琉球の王は、ほとんど、家康の家臣のようにひれ伏していた。国土の大小はともかく、対等な国同士の首脳会談なら、琉球王も堂々としていられた。日本の幕府は明に服從するのを嫌がって琉球を己に服從させた、ある意味で身勝手な政権であった。

 

 『功名が辻』の2006年12月3日に放送された回で、1603年における秀吉の妻・高台院(北政所=きたのまんどころ、ねね、おね)と山内一豊の妻・千代の会話があり、高台院の台詞が「関ヶ原の戦から3年、うちの人(秀吉)が死んで5年」となるべきところ、放送で「死んで10年」となっていたらしい(2006年12月9日更新『日刊スポーツ』)。秀吉没年は1598年だから1603年は5年後。再放送で訂正されたはず。

 

 

 

1609年、ガリレオが望遠鏡を作って星を観測したとき、琉球王国(琉球→Y!辞書)は薩摩藩によって征服された。
└→国際天文年

 

Wikipedia 琉球の風 (NHK大河ドラマ)概要尚寧王ではこれを「侵略」と解釋している。

 

『21エモン』文庫第1巻によると、21エモンの先祖・壱右衛門がつづれ屋(またはそのもとになる宿屋か)を開業したのは徳川幕府の開始とほぼ同時期で、作品ではそれから450年。
└→『21エモン』

 

前後一覧
2008年9/13(Y!Blog)

平成20年9月13日〕(AmebaBlog)

 

関連語句

三浦按針

 

参照

戦国時代から江戸時代へ

 

4月29日、三浦按針漂着421周年