1877年(明治10年)、西南戦争。『田原坂』などで描かれ、西郷隆盛を初めとする多数の人命が失われた。
『翔ぶが如く』などによると、政府側の探偵が西郷を「視察」して帰る予定だったのを、西郷の支持者が「刺殺」と誤解した、あるいは西郷への対応に関して川路利良が勝手に判断をしたなど、諸説ある。当時、アコーディオンが「手風琴(てふうきん)」として紹介されていた。

西南戦争の時代を扱った作品に『るろうに剣心』と『ラスト サムライ』がある。『ラスト サムライ』と『硫黄島からの手紙』は、どちらも戦争を扱っている。日本軍の戦いを批判する人たちが、侍の戦いを讃美したら、これは矛盾である。柳田理科雄が『空想映画読本』のシリーズで『ラスト サムライ』について、海から見えた富士山がやたら大きいとか、横浜(←横濱)らしい場所から少し歩いて皇居とか、日本の描写の不思議さを指摘している。

西南戦争の翌年、1878年、大久保利通が暗殺された。

『翔ぶが如く』の最終回で、西郷隆盛の妻・いとは赤ん坊をあやしながら、「♪一掛け、二掛け(て)、三掛けて、四掛けて、五掛けて、橋を掛け……」と歌っていたが、江戸時代に、あの中村主水がその替え歌を口ずさんでいた。もとの童謡のほうは、あとになって、一九四五年に廣島の中岡元が被爆者の介護のアルバイトをした家で、少女がお手玉をしながら歌っていた。

西南戦争から「戦後60年」たった1937年に日中戦争が始まっている。戦争が「反省」や「謝罪」の対象とされるのは、戦争が終わって60年か、70年、つまり経験者が生存している間、戦争が終わって人の寿命の間だけというのが実情のようだ。それが過ぎて100年前、500年前、1000年前の戦争になると、前後の政治制度、国際情勢、時代区分の変化のみが強調される。
太平洋戦争も戦後2000年ともなれば、今の社会における始皇帝の前後や、あるいは三国志の戦争と同じく、歴史上の時代の境目か、兵隊の力比べのゲーム感覚で語られるかも知れない。

1880年、ヘレン・ケラー(Helen Keller)誕生(『奇跡の人』)。

1881年(明治14年)4月、平沼銑次(ひらぬませんじ、銑≠鉄)は囚人の一人として北海道に送られた。10月に積雪。零下20度の中、労働条件は劣悪で、抗議を続けた囚人も力尽き、囚人たちは脱獄。
『龍旋風SHANGHAI NOON』によると、この年、清の紫禁城から姫が誘拐された。紫禁城で働いていた清国人たちが姫を探しにアメリカに渡った。

1883年(明治16年)、鹿鳴館が完成。

1884年(明治17年)、『獅子の時代』によると、苅谷嘉顕(かりやよしあき)は国民の自由自治を基本にした憲法草案を考えていた者もいたが、伊藤博文がそれを却下し、草案を作った苅谷は殺された。農民が蜂起し、平沼銑次(ひらぬませんじ、銑≠鉄)は「自由自治元年」を旗に書き、蜂起の先頭に立つ。しかし、鎮圧されたらしい。平沼銑次は農民たちに帰るように告げ、自ら旗を持って戦い、その後、行方不明。
これが「秩父事件」である。「~事件」も殺し合い、暴動、弾圧、虐殺、戦争開始などと、言い方を変えて解釋すべきである。

1885年、チェーホフ(Chekhov、1860~1904)の『かけ(賭け)』に出てきた実業家は、15年間で財産を失い、実業家の約束の金額をはらうと破産しそうだった。法律家もすっかり幽閉生活に慣れてしまった。実業家は法学者を暗殺しようと考えたが、実業家は15年間の膨大な読書の結果、賭けに勝とうという名誉欲も金銭欲も失っており、約束の1885年11月14日正午が来る5時間前の朝8時(推定)に脱走した。賭けは実業家の勝ちであった。

1887年、アニー・サリヴァン(AnneまたはAnnie Sullivan、当時20~21歳)がヘレン・ケラー(この年で七歳)の家庭教師になった(『奇跡の人』)。
テレビドラマ『鹿鳴館』は1887年(明治19年)11月3日、天長節(天皇誕生日)の時期を描いている。
1889年(明治22年)年2月11日、大日本帝国憲法が公布されたところで、『獅子の時代』は終わっている。

『シャンハイ・ナイト』
1887年、明治20年が舞台。

Yahoo!Japan シャンハイナイト 1887年/
 

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/南沢篤志(入院沢)(@atsusick_bot)さん / X (twitter.com)/

♪いちかけ…にかけて…さんかけて…しかけて…ごかけて…はしかけて…はしのらんかん…こしをかけ…はるかむこうを…♪[口ずさみながら複数のお手玉を両手で器用に行き交わせている]っとっとっ…[失敗したらしくお手玉を一つ取り落とす]あー、失敗…[残念そうに落としたお手玉を手で弄んでいる]

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/にじでん(@nijiirodenpa)さん / X (twitter.com)/

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平成26年tw

@kyojitsurekishi 「必殺仕事人」のOPにある「一かけ二かけ三かけて」のもとの歌はお手玉の歌のようで、「翔ぶが如く」「はだしのゲン」でも出てくる。
/3:09 - 2014年11月28日/
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「翔ぶが如く」最終回でこの「♪一かけ、二かけ(て)、三かけて~」の歌を歌っていたのは田中裕子。NHKのドラマ では「おしん」でもあり「西太后」でもある。
/3:11 - 2014年11月28日/

 

 

 

 

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2008-02-28 15:48:00

 

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