人はいつか死ぬとはわかっていても、僕が死んでも世界は何も変わらないが、僕以外の人は変わらずに永遠に行き続けているような錯覚を抱いていたのだと、今さらながら気付かされる。
中学生、高校生の頃に憧れた音楽家の訃報が続き、小学生の頃に憧れた漫画家に絵師と訃報が続いて、永遠なんてないのだと思い知る。
厨二病的な感傷だとは自分でも嘲笑うが、作品を通してのみ意識してきた方々の訃報は、どこか違う世界の出来事のように感じる。
ライブ会場でステージと客席の距離感で生で拝んできた方々と比べて、現実感が薄い。


♪大人になんかならないよ

『オバケのQ太郎』のアニメ第3期(1985年)が始まった頃の僕は、まだ小学生だった。
番組が終わる頃には中学生でその頃にはもう視ていなかったが、始まった頃のOPの歌が好きで、
番組が終わって30年が過ぎた頃から時々思い出しては口ずさむようになった。

大人になんかならないよ
らしくないのが良いところ
僕らは宇宙に跳ねてる
自由な自由な遊び人





Qちゃんが涙を流す絵が印象的なOPの歌。
正ちゃんはいつか大人になるけれど、Qちゃんはいつまでもあのままなのだろうなと、今思えばそんな意味の歌と絵なんじゃないかと思う。
当時は深く考えずに流し見ていたが、そこだけが心に引っかかって記憶に残っているのだ。