笑わせようとして発したジョークが受けず、笑わせようとしたわけではないなにかがウケたりと、人を笑わせるというのは難しい。


「天城君のは真面目な顔で言うから冗談に聞こえないんだよ!」


高校時代に同級生の女子から言われ……。


「おまえのは真顔で言うから冗談に聞こえないんだよ!」


とバイト先で先輩に言われ……。


かと思えばなにか特別なことをしたわけではないのに、「アイツは面白い奴だ!」と集団内で認識されることが小学生の頃からの定番だ。

おかげで若い頃は浅く広く交友関係を持つことができたし、よく遊びに行った界隈でも弄られキャラとして受け入れられていた。

世の中には弄られると腹を立てる人もいるものだが、僕は顔が怖いらしく、黙っていると怖がられて人が寄って来ないのが小学生の頃からの傾向なので、弄られることで相手の警戒心を和らげることができるなら、それが不本意でも受け入れるしかなかったのも本当のところだ。


しかしながら弄られるというのは見下されるということでもあり、僕はそれを感じていながらも敢えて受け入れてきたということも主張したい。

相手を自分より下に見ているから相手のことを笑えるという面は、イジメと紙一重じゃないかな?

弄られる=ナメられると認識して弄られることを嫌って腹を立てる人の心理は、それだろう。


例として、僕の実体験を紹介する。

あれは僕が二十歳の時だ。

登録制の派遣バイトをやっていたのだが、

入って三ヶ月位した頃に一歳上の男性と一緒に働く現場があって、歳も近いし音楽の話をキッカケに仲良くなってプライベートでも遊ぶようになってしばらくした頃だったと思う。

他にもインディーズミュージシャン、劇団員、

画家、小説家志望、フリーのカメラマン。

空き時間に働けるアルバイトとして働きに来ていた人達との交流は仕事以上に楽しかったし、仕事はあくまでもバイトで自分のやりたいことは他にあるというプライドを彼らからは感じた。

才能もなく、何者かになりたくてもなれずにいた僕は、彼らと交流することで何かを得られたような気がしていたとも現在なら冷静に分析できる。

そして僕と友人は、何者にもなれないし何になりたいのかもわからず、日々を生きていた。


「エスパー伊藤が○○○(バイト先)に入ってきたって聞いた?!」


友人が面白いことがあった時のドヤ顔で話しかけてきたのは、バイトで一緒になった時だと思う。

僕の部屋にはTVがなく、あってもバラエティ番組は視ないから誰?と真顔で訊き返すと彼は言う。


「知らないの?TV出てんじゃん!」


僕はそこで初めてウチにはTVがないと告げたのだが、その後の一言が余計だった。


「エスパー伊藤ってさ、おまえみたいな奴だよ!

なんかわけのわからないことをやる芸人でさぁ~」


その後のことは覚えていないが、その一言だけは未だに根深く覚えている。


「おまえみたいな奴だよ!」


おまえみたいな?!


おまえみたいな?!


おまえみたいな………。



後に木田康昭の漫画でも、


「おまえはエスパー伊藤を好きすぎる!」


ってネタがあったが、僕には全く面白くなかった。

木田康昭の漫画は好きだけど……。



数年前に病気療養を理由に活動休止のニュースを見かけて顔も初めて見たくらい、興味がない。

ネタも今朝初めてYouTubeで視た。




今朝X(旧Twitter)で見つけた記事。


ちなみに一緒に働く機会はなかったし働いた人の話も聞かなかったから、登録はしたけど1日働いて辞めたとかじゃないかなと思ってる。

そもそもがたいして話題にならなかったしな。


以上の理由で全く好きではないし思い入れもないのだが、彼が何をしたというわけではないし多くの人に笑いを提供した芸人さんに敬意を表して!


ご冥福をお祈りします。