白峯神宮の七夕…☆ | 京一花日記帳

京一花日記帳

*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

こんばんは。

台風8号の被害、みなさまのお住まいの地域は大丈夫でしょうか。

京都は、昨晩から朝まで雨が降り続きましたが、午前中には止んで…

さっきは、綺麗な夕焼けが見られました。



とってもとっても!!蒸し暑いですが、晴れてよかった。

今日は、祇園祭の「お迎え提灯」の日だそうで、

「神輿洗」の神輿を迎えるために、提灯を持って巡行するのだそうです。無事に終わったかな…

台風が通り過ぎるまで…、また、地震にも、みなさまどうか、お気を付けください。



3日遅れの、京都の七夕のご報告~流れ星



こちらの「白峯神宮」(堀川今出川)から、何やら和の歌と音楽が…

境内へ入ってみると、たくさんの人たちでできた壁の向こう側に、



こんな世界が広がっていました゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


白峯神宮> 

1868年(明治元年)創建
孝明天皇が、讃岐に流され亡くなった崇徳上皇の霊を慰めようと、現香川県の讃岐国白峰の社を京都に移転させようとしたのを、
明治になって明治天皇が、神体を迎えてここに祭ったのがはじまり




この場所は、平安時代の蹴鞠(けまり)のお家元、飛鳥井家(あすかいけ)の邸宅があった場所でした

それゆえ、ここ白峯神宮には、蹴鞠の神様「精大明神」さまが祀られ、サッカー選手に人気が高い。


~精大明神さまが祀られている、地主社~ たくさんのボールが。










そして、7月7日は、「精大明神祭」として、



蹴鞠と、「小町をどり」が奉納されているそうです。

小町をどり、とは・・・

●陰暦七月七日夜に行われていた、奈良時代の宮中行事「乞功奠(きこうでん): 芸能が巧みになることを祈る祭り」の際、供え物として公卿等が詠んだ和歌を届ける時に、文使いのお供をしていた娘たちが、その道中で歌い舞った踊りが起源とされている。

●その後、これが民間で、特に女子が手芸と芸事の巧みなることを願う七夕の祭事として定着した。

(白峯神宮hpより)


小町踊り奉告祭

女子が手芸と芸事の巧みなることを願う七夕の祭事… これは私もぜひ拝まなければ…


織女(織姫)さま







牽牛(彦星)さまも




ともに舞います




そして、舞台は再び、「鞠庭」へ…




少女たちの衣装は、元禄時代(1700年頃)のものを再現したもので、とても雅であでやか

~左手に小太鼓をもち、右手のバチをかざしてシナをつくり、
広場中央の七夕飾りの大笹の元、牽牛・織女の周りを回りながら、歌に合わせて打ち鳴らすトントンとかわいた小太鼓の音が、静かな境内に響きます~ 

(白峯神宮hpより)




織女さまと牽牛さまが中心に入り… 幻想的な舞の輪が、ゆっくりとまわります






(後ろ姿もとっても可愛いんです)




これは、夢か現か・・・・・・



平成にいるのを忘れてしまうような、七夕の夕方でした





*おまけ*

どこかアニメっぽい狛犬さま( ´艸`)





ヒヨコ

前回の記事では、みなさまあたたかいコメントをありがとうございました。
弱音を吐き、ご心配をおかけしました。

ブログにお越しくださる方、いいね!やコメントをくださる方、いつも本当にありがとうございますWハート

すごく元気をいただいています。