天王山!(前篇) | 京一花日記帳

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クリスマスツリー Merry Christmas ! クリスマスツリー


みなさま、サンタさんはもう、いらっしゃいましたか?


クリスマスとまったく無関係ですが、

12月21日(土)、 阪急線のこの駅が、新しく開業したのをご存知ですか?




西山天王山駅」です。



それを記念して、天王山山中の、寺社仏閣や美術館を巡り、ご朱印を集める「天王山歴史スタンプラリー」が行われました。お友達と、参加してきました!


私は、今年の春に登山に目覚めて以来、時々お仲間と関西の山を登ってきました。

天王山といえば、幕末、禁門の変を起こした元久留米藩士・真木和泉氏らが、 自刃して果てた場所です。

ずっと登りたいと思っていたところに、機会が巡ってきました。


※登るといっても、天王山の標高は、270.4メートルです (;´▽`A``


↓ 今回の、スタンプラリーの行程です。

(紙面にいるのは、大山崎町に住む、蘭の妖精ラランちゃんです。大山崎町は、蘭の栽培のふるさとなのだそうです)




右下の、開業ほやほやの「西山天王山駅」から、スタートしましたよ!




なんと、スタート地点に、大きなアーチを描いた虹がかかっていました。いいことありそうです! キラキラ




スタート地点で、このご朱印帳をいただいて、いよいよ出発です。




少し歩いて、最初のご朱印地点 ①「小倉神社」に到着しました。




天王山といえば、幕末好きの私はまず「禁門の変」なのですが、

一般的には、天王山は、戦国時代の「天王山の戦い(山崎の戦い)」で有名ですね。

*天王山の戦い(山崎の戦い)*

1582年(天正10年)、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の軍勢と、

知らせを受けて備中高松での戦いから引き返してきた羽柴秀吉軍との戦い。


羽柴(のちの豊臣)秀吉氏は、この天王山の戦いに際し、家臣の片桐祐作氏をこの小倉神社の本社に遣わし、戦勝祈願をしたといわれているそうです。

「小倉」という名は、天王山の山裾で「小暗い」ことから地名が付き、そこからきているのだそうですよ。




小倉神社の裏から、いよいよ登山開始です。








標高270メートルと、ちょっと油断していましたが、




小倉神社から天王山山頂まで、この長い道のり…!

しかも、急な傾斜が続いたところもあり、結構大変でした。

なんとか無事に、ご朱印地点②「天王山山頂」に到着しました。






この山頂には、かつて秀吉氏の建立した「山崎城」がありました。




こちら↓ は、今も残る城跡なのだそうです。

こんな山奥、しかも山頂にお城なんて建てずとも… と、言いたくなります。さぞかし、大変やったでしょうね。




↓ この「秀吉の道」パネルは、ここ山頂に始まり、下山する過程で何ヵ所にも建てられていました。




下山をはじめて、




しばらくすると、ご朱印地点③「酒解(さかとけ)神社」です。




寒い中、私たち登山者を温かく迎えてくださり、ご朱印をくださるボランティアの方に元気をもらいます。




↑ 写真左の、この「神輿庫」が、’板倉形式’では日本で最古であり(鎌倉時代前期の建築)、国の重要文化財に指定されているそうです。

中には、かなり痛みが進んでしまった当時の御神輿も、ちゃんとあるのだそうです。すごいですね…。

(ガイドの方のお話より)



↓ 「三社宮」です。 




仲良く並んでいる様子に、惹かれました。


そして、「秀吉の道」パネル2。




後篇に、続きます。