京都祇園祭大船鉾復興展示 | 京一花日記帳

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こんばんは。

台風27号の被害は、みなさま大丈夫でしたでしょうか…
京都では、福知山市において、由良川の増水で橋が流出するなどの被害がありました。
今週末の京都市は、晴れ間が広がって穏やかなお天気でしたが。

東北では、地震もあったようで、気が抜けない秋ですね…。



さて、私は今日、初の長岡天神に出かけました。

あまり時間もなかったので駅周辺のみでしたが、昔ながらの商店街の雰囲気がよかったです。

次に行くときは、幕末の舞台の一つとなった、天王山を登ってみたいと思います!


京へ戻ってからは、以前からずっと気になっていた、こちらを鑑賞してきました。


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「京都祇園祭大船鉾復興展示」です。


祇園祭の山鉾の一つ「大船鉾(おおふねほこ)」は、応仁の乱(1467年)以前から存在したと言われる、

歴史ある山鉾の一つ。


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祇園祭の山鉾巡行は、1965年まで神幸祭に合わせた前祭(さきまつり)と、還幸祭に合わせた後祭(あとまつり)の2日に渡って行われており、

この「大船鉾」は、幕末までは後祭の最後尾を巡行していた鉾でした。


ところが、幕末1864年の禁門の変(蛤後門の変)で起こった「どんどん焼け」によって、焼失。

どんどん焼けではたくさんの鉾が焼失しましたが、その多くはすでに復興し、

現在も復興していないのは、この「大船鉾」、「布袋山(ほていやま)」、「鷹山(たかやま)」の3基のみ。

焼失以降、「休み鉾(山)」として、巡行に参加できずに鉾の町内のみでお祝いしてきたそうです…。

しかし、来年2014年7月(焼失から150年目!)その「大船鉾」がついに、山鉾巡行に完全復活するのです!


この復興展示は一昨年2011年10月から始まり、

2014年7月の復興に向けて着々と鉾の完成が近づく制作過程を、公開しています。


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ものすごい迫力!!!もうだいぶん、完成に近づいているそうです。


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この「車」ひとつだけで、私の身長よりはるかに大きい!!


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なにやら「採寸中」の、お洒落なシャツが素敵なおじさま。


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下から見上げても、ど迫力。


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来年の大船鉾復興で全33基となる、山鉾のすべてが紹介されていました。


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幕末期の「大船鉾」の様子。新選組池田屋襲撃の年も、こちらが現場近くを巡行したはずです。

志士の方々も、目にしたのでしょうか。


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「大」がつかない、「船鉾」もありました。船型の鉾はこちらと大船鉾の全2基のみ。


今日お会いした展示室受付のおっちゃん(失礼)がこれまた素敵な方で、

私が一つ質問を投げかけると、嫌な顔一つせず真剣に答えてくださいました。


おっちゃんによると、山鉾が復活するというのは、その町内の方々にとってはものすごく大変なこと。

祇園祭の間は仕事や商売を休んで祭りに専念しなければならないし、 準備には膨大な時間とお金がかかる。

この「大船鉾」の復活実現には、それだけ町内の人々と周囲の人々の理解と協力があったということを、教えていただきました。


この復興展示は、来年3月まで開催予定ということですので、興味がおありでまだの方は、ぜひ一度足を運ばれてはいかがでしょうか。


来年の祇園祭といえば、1966年以降、交通渋滞緩和などの目的で7月17日にまとめて行われてきた山鉾巡行が、

49年ぶりに、前祭(7月17日)・後祭(7月24日)の2日に分けて行われることが決まっています。


「大船鉾」復興も合わせて、ますます来年の夏が楽しみですねー!