「武士の一言」という言葉があります。かつて、侍の言葉による約束には責任があり、証文以上の信用がありました。そして、一度口にした言葉を翻すようなことは決してありませんでした。一たび放った言葉や約束を反故にすることは、責任や名誉、義理や礼儀を場合によっては自分の命より重んじる武士にとって、ひどく恥ずべきものでした。
現代においては、言葉に責任を持たなかったことで命まで落とすことはありませんが、それでも自分の言葉に責任を持つということは、自分の思考を外に表明したものとして、自分自身をかたどったものなので、自分というアイデンティティを持つ上においても、他者との信頼関係を築くことで、より自分が幸福に生きる上でも大切なことだと言えます。
そのため、何らかの約束などの言葉を交わすときや、何らかの立場を表明するときには、自分の言葉に責任が帰属するものということを意識し、十分に言葉を選ぶ必要があります。
いい加減な気持ちでの約束や、他者批判など、自分に跳ね返ってきたときに責任を持てない言葉であれば、口にしない方が、まだましでしょう。いわゆる自分の事を棚に上げて物言う人、二枚舌の人、口だけの人、と言われかねません。あなたの思惟から生まれた言葉が、そのように評価され自分に還ってくることは、自分自身にとってよりよいこととは言えませんね。
で、あるなら、やはり自分の発する言葉は、十分に考えてから選び、そこに普遍的な責任をもつべきでしょう。
常々、言葉にすることに責任を持つ人であれば、「あの人の言う約束だから間違いはない」と信用を得ることができます。そのような人は、他者からどんどん信頼され、逆にその人が困ったときには、周囲に助けの手を差し伸べてくれる多くの人に恵まれるでしょう。また、逆に言葉に責任を持つような人との約束であれば、自分も襟を正して言葉に責任を以て付き合いを持たなくては、となることとなり、いい加減な真似はしないようになりますね。そうすると相互に誠実で良好な人間関係を築き上げてゆくことが出来ます。いつも自分の言葉に誠実である人とそうでない人、あなたはどちらの人と身近な間柄でありたいと思うでしょうか?
一度口にした言葉に責任を持つということは、他者に対する責任であると同時に、何より自分自身に課された責任なのです。決して離れることのできない自分自身という存在に真摯に向き合い誠実に付き合い、その自分の思惟するものに責任を持つこと、それは、「自分を持つ」ということにも繋がりますし、見える形としての他者からの自分への信頼、信用へと結びつき、あなた自身のよりよい生き方へと拡がりをもってゆくこととなるのです。
できない約束をしたり、場所や相手によってまったく違うことを言ったり、前提条件が変わったわけでもないのにころころと言うことを変えたりするようなことのないよう、言葉を口にする時には充分に気を付けたいものです。