ジョスカン・デ・プレ | タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー&グルメ、観光

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クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

 

 Josquin des Prés 1450?-1521 没後500年です。

 フランス北部の、サン=カンタン近くのエノーで生まれたらしい。 少年から青年時代を示す記録がなく、サン=カンタンの少年聖歌隊のメンバーだったらしい。 少なくとも、オケゲム(オケヘム)の門下だったようで、敬愛した作風であり、1497年に、オケゲムが亡くなると、「オケゲムの死を悼む挽歌」を、作曲している。 1475年から1480年まで、エクス=アン=プロヴァンスのアンジュー家のルネ善良王に使える音楽家であり、善良王の没後、領地と資産は、フランス王ルイ11世のものとなり、音楽団も引き継がれた。 ルイ11世が、卒中により床に臥すと、自身のために寄進されたミサ曲を、毎朝7時に聴いていたが、そのメンバーに、ジョスカンがいた可能性は高いそうです。 1484年にルイ11世が亡くなると、当時の有力な枢機卿、アスカニオ・スフォルツァの庇護を受け、1485年にイタリアに渡る。 その後、ミラノ公ジャン・ガレッツァ・スフォルツァに使えた後、1486年ローマ教皇庁付属聖歌隊員となる。 結局イタリアでは、職に就けず、1500年から2~3年、ルイ12世の宮廷楽団の一員であった。 その後は、フェラーラ公エルコレ一世デステの宮廷作曲家だったが、ペストを恐れ1年ほどで辞職、1504年から、フランス北部、コンデ=シュル=レスコーの4人の司教座教会参事会員の1人に選ばれる。同教会には、6人の少年聖歌隊がいて、作曲、演奏ができたと思われる。 そこから亡くなるまでのことは、詳しくはわからないが、少なくとも同地に留まったようで、1521年8月27日に死亡、同地に葬られた。

 ルネサンス時代の、最大の作曲家の1人で、当時の作曲技法のすべてを、意のままに操る才能があり、存命中にすでに、有名人であり、現在でも、その認識は、変わっていません。

 

では、アヴェ・マリアを^^b

 

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