カミーユ・サン=サーンス | タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー&グルメ、観光

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クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

 Camille Saint-Saëns(1835-1921)、没後100年です。

 内務省官僚の家に生まれるが、父は、カミーユの生後3か月で亡くなってしまい、母方の家で、育てられた。 3歳からピアノを習い、10歳で、パリの、サル・プレイエルでデュー・コンサートを行う。 サン=サーンスは、音楽だけでなく、古典文学やラテン語、ギリシャ語、数学、自然科学などを習得し、特に、天文学や考古学、哲学に傾倒した。 

 1848年に、パリ音楽院に入学、まず、オルガンをブノワに師事し、3年後の1851年に、グランプリを獲得、1851年からアレヴィに作曲および管弦楽法を習い、伴奏や歌唱法も学んだ。

 1853年に、サン・メリ教会のオルガニストに就任、その時、ガブリエル神父と、イタリアに旅行したのが、生涯続く演奏旅行の最初だった。 1857年には、マドレーヌ教会のオルガニストに就任し、1877年まで務め、特に即興演奏で有名になった。 1861年から65年まで、生涯唯一の教職に就いた後、1871年、国民音楽協会を設立、同時代の作曲家の作品を積極的に紹介する。 その後も、世界中を、オルガニスト、ピアニスト、指揮者として演奏旅行を続け、同時に、器楽を中心におびただしい数の作品を、発表していった。 その名声は、ケンブリッジ大学の博士号や、レジオン・ドヌール勲章の最高位、グラン・クロワを、贈呈されたことでもわかります。 晩年は、アルジェリアのアルジェで過ごすことが多くなり、亡くなる4か月前に、演奏家としても作曲家としても引退し、アルジェに戻って亡くなりました。 葬儀は、フランスの国葬で、行われました。

 作風は、18世紀ドイツのスタイルを元に、フランス人らしい洗練を加えたもので、最初は、ワーグナーに傾倒していたが、後半生は、否定しています。 なので、晩年近くの作品は、独自の高みに達しています。 フランス以外の演奏家でも、作品の魅力は、十分引き出せますが、真にフランスらしい演奏家の手にかかると、まさに、近代フランスの作曲家だと、再認識できます。 特に、生涯後半の作品は、ドイツ=オーストリア的なものから離れて、独特のすっきりとした響きを、楽しむことができます。

 

サン=サーンス53歳の時の作品で、交響曲第3番「オルガン付」の、次の年のものです。 高音木管楽器3本という、一見バランスの悪そうな編成でも、充実した音楽が流れます。

 

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