Tomaso Albinoni (1671-1751)、生誕350年です。
有名なわりに、生涯については、あまりくわしいことは、わかってないようです。 ヴェネツィアの紙商人でもある裕福な貴族の家に生まれ、ジョヴァンニ・レグレンツィに師事。 1964年に作品1を、コレッリのパトロンでもあったピエトロ・オットボーニ枢機卿に献呈。 1670年には、マントヴァ公の宮廷ヴァイオリニストとして雇われ、数々の作品を作曲し、好評を博すようになる。 その後、オペラ作曲家として、イタリアの多くの都市で人気になり、その期間に、ほとんどの器楽作品も作曲。 ところが、1720年以降の足取りが、まったくわからないんだそうです。 そもそも、裕福な貴族だったので、必ずしも就職する必要がなかったのが、理由の1つとされています。 1942年に、フランスで「遺作」とされるヴァイオリンソナタ集が、出版されたので、その頃には亡くなっていたとされましたが、ヴェネツィアの、サン・バルバラ小教区の記録に、「1751年に、糖尿病で亡くなった。」とあるので、少なくとも、その頃までは、生きていたとされています。
作品は、オペラ作曲家として活躍しましたが、今では、器楽のほうが人気があり、特に、オーボエ協奏曲が人気で、バッハも生徒たちの教材として採用していたそうです。 ちなみに、「アルビノーニのアダージョ」は、アルビノーニ研究家のジャゾットが、作曲して、ジャゾット作曲では売れないので、アルビノーニ作としたものです。
では、そのオーボエ協奏曲の1つを^^b