Eduard Strauss (1835-1916)、没後100年です。 ウインナ・ワルツ・ファンには、ご存知、シュトラウス一世の四男ですね。 父の命令で、弁護士にされそうになるも、語学が堪能だったため、外交官を目指す。 しかし。母マリアの、もくろみで、音楽家に転向。 ハープを学び、やがて、指揮者、作曲家となる。 兄の楽団に参加、指揮者としては、エドゥアルトが、一番秀でていたらしい。 1872年、母アンナと、次兄ヨーゼフが、亡くなったことで、意気消沈した、ヨハンが引退、オーケストラと、宮廷舞踏会の、音楽監督を引き継ぐ。 1900年に、引退し、シュトラウス楽団を解散、宮廷舞踏会の音楽監督も、辞任。 悠々自適の生活に入る。 実は、晩年に、シュトラウス楽団所有の、自筆譜を、1000曲以上、焼却してしまったそうです。 しかし、ピアノ・スコアが、出版されていて、写譜屋のもとに、コピーがあったため、現在でも、演奏可能なんだそうです。
Eduard Strauss - Bahn Frei - Polka-schnell, op.
有名な「テープは切られた」
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