早坂文雄 | タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー&グルメ、観光

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クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。




 早坂文雄(Humiwo Hyasaka 1914-1955)、生誕100年です。 この人、けっこうな苦労人で、元々、宮城県志田郡(現大崎町)の地主だったのが、父親の代で没落し、札幌市に移住、はじめは、洋画家になろうと思っていたけれど、15歳で、作曲家になりたいと思う。 が、16歳の時に父親が出奔(姿をくらましたw)し、その翌年に母も病死して、兄弟を養うために、中学卒業後、働きに出る。 それでも、音楽はあきらめきれず、ピアノの音が鳴っていると、知らない家でもかまわずに、弾かせてもらってたとか。 その後、教会のオルガニストを、している時に、作品が、日本放送協会「祝典用管弦楽曲」懸賞に第2位入選。 この時に上京し、 日本現代作曲家連盟に入会し、清瀬保二、菅原明朗、江文也らに会う。 この頃から『音楽新潮』などに、寄稿をするようになる。 東京に定住するようになったのは、1939年東宝映画社長の植村泰二に認められてからで、まず、映画音楽の作曲家として有名になっていくんですな。 その後、順音楽の作曲でも、頭角をあらわしていくんだけど、持病の結核によって、けっこう中断されるんですよ。 この後、さまざまな作品を、発表するも、結核の悪化で、41歳で亡くなります。 作風は、汎東洋主義といって、日本的、東洋的な情緒を、クラシック作品に投影することを、目標としていて、最終的には、独自の無調に至ったらしい。 そういう作風だったからこそ、「羅生門」「雨月物語」「細雪」「七人の侍」などの映画で、効果を上げたと思うんです。 クラシック作品にも、日本で、生まれ育ったら、どこか、懐かしいような近しい音を、感じることができると思います。 今では、かなりの、音源が、手に入るので、聴いてみては?


早坂文雄 ピアノ協奏曲第2楽章 ヤブロンスキー指揮RPO

では、ピアノ協奏曲の終楽章を^^b



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