タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー

タケさんのブログ クラシック時々ポピュラー

クラシックを中心に、ポピュラーや民族音楽なども(少し)紹介してます。
レアなものや変わったものも多いので、良ければ見てやってください。

音楽のことを中心に、料理や、時事ネタを書いてます^^

できれば、地元の京都情報なんかも・・・

2011年からは、もう少し、マイペース更新になると思います^^;

時には、更新しない日が出ますが、よろしく、お付き合いのほどを

m(_ _)m

 Hyacinthe Jadin(1776-1800)生誕250年です。 18世紀フランスで、古典派からロマン派への橋渡しをした数少ない作曲家です。

 

 パリの南西約20kmのヴェルサイユ生まれ。父は宮廷楽団員、叔父は、作曲家と言う音楽家一族であった。 後に作曲家となる、兄ルイ・エマニュエルにピアノを習った後、ニコラ・ジョセフ・ユルマンデルに教育を受け、フォルテピアノ奏者として活躍、作曲家としても13歳の時、自作がコンセール・スピリテュエルで演奏された。 

 1795年から、パリ音楽院の女子クラスを担当。 同時に、フランス革命用の愛国歌や軍歌を吹奏楽用に作曲したことで、吹奏楽の発展にも寄与したとされる。

 結核により、23歳の若さで夭折。

 

 最初に書いたように、古典派に、そこはかとなくロマンの香りを漂わせ、評論家などからは、シューベルトを予感させるものがあると、言われています。 クラシック音楽好きなら、ハートを射止められるひとは、多そうです。

 

 

 

 では、ピアノ・ソナタ作品4-2を。 シュトルム・ウント・ドラング風の第1楽章や、メヌエットにしては分厚い響きなど、過渡期の魅力いっぱいです。

 

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 ※写真だけ見るとただの変人だよな(これこれ!w

 

 Morton Feldman(1926-1987)生誕100年です。 静謐な響きが長く続く、独得の作風で知られています。

 ニューヨーク生まれで、Madame Maurina-Pressにピアノを習う。 ワリングフォード・リーガーとシュテファン・ヴォルペに作曲を師事。 2人とも、無調や20世紀音楽のスタイルであった。 この頃からすでに作曲を始める。 

 1950年に、ニューヨーク・フィルの演奏会でベルクの「交響曲」を聴きに行った際、ジョン・ケージと出会い強く影響を受ける。 その結果、機能和声や十二音技法などから離れた作風を探るようになり、ただ、一定時間にいくつかの音符を演奏するような楽譜などを書くようになった。 その最たるものが、図形楽譜で、音符ではなく図形や線などで表されたものを、演奏者のセンスで音楽にするものであった。 前衛音楽界隈では大絶賛され、そこから、いくつかの手法も見出されたが、フェルドマン自身は、「演奏家によって勝手に解釈されて、自分の意図したものではなくなる。」として。1970年代以降は、使わなくなる。

 その後も、自身のスタイルの探求を続けるが、少なくとも、1986年には、膵癌に侵されており、1987年9月3日、ニューヨーク州バッファローの自宅で死去。

 作風は、いくつかの変遷があります。 そもそも、新古典派や20世紀音楽を推進する作曲家、音楽家に師事しただけあって、無調や十二音音楽から始めたと思われます。 その後、あの(笑)ジョン・ケージに影響を受けただけあって、従来の音楽からは離れた自由な作風になります。 ただ、美しい響きや魅力的なリズムなどは、失われていないようです。 相当マニアックなクラシック音楽ファンしか知らない人なので、興味ない人は、「こんな人いるのね。」で、いいと思います。

 

 では、弦楽四重奏曲第2番のトラック1を。単一楽章で、全曲は5時間ぐらいかかります。

 

 

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 今回は、40年前の1986年の、ブラック系の一発屋的だけど忘れるのには惜しい曲を2曲紹介します。

 

 まずは、ビリー・オーシャンのゲット・タフ(When the Going Gets Tough, The Tough Get Going)。 トリニダード・トバゴ生まれでイギリスで活躍する人で、1976年デビュー。 ヒットを連発しだしたのは’84年からで、ゲット・タフは、映画「ナイルの宝石」に使われてアメリカでは2位どまりでしたが、ヨーロッパでは、1位になった国が多くありました。 真正のブラコンというよりは、ポップでキャッチ―な曲です。 

 

 もう1つは、グレゴリー・アボットのシェイク・ユー・ダウン(Shake You Down)。 この人は、アメリカはニューヨーク、ハーレム生まれで、ポピュラー系ミュージシャンにはよくある経歴です。 歌手としてデビューしますが、独立系レーベルの仕事で、ホイットニー・ヒューストンとデュエットするチャンスを得たほかは、プロデューサーなどをしていましたが、この曲を含むアルバムでデビュー。 これは、ビルボードで1位を取ったんですが、その後、5枚のアルバムと5枚のシングルをリリースしますが、ヒットせず、地道に活動を続けています。 

 2曲とも、R&B系として十分いい曲だと思います。 一発屋だろうが何だろうが、いいものはいい、と、言うことで。

 

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 Klaus Hermann Wilhelm Tennstedt(1926-1988)生誕100年です。

 ドイツ生まれで、個性的な魅力でファンの多かった指揮者です。

 後に、東ドイツ領となるメルゼブルク生まれ。 父親がヴァイオリニストで、同じようにライプツィヒ音楽院でヴァイオリンを専攻し、1948年に、ハレ歌劇場のコンサートマスターとなるが、指の故障(骨瘤)のため、1952年に同歌劇場の指揮者に転身。

 その後、東ドイツ内のオペラ座の指揮者を歴任するが、1971年、夫婦でスウェーデンのヨーテボリに客演した際、亡命。 1972年からは、ドイツ北部のキール歌劇場の音楽監督となる。 同時に様々なオーケストラに客演をするようになる。 特に、アメリカ、イギリスで人気となり、アメリカのオーケストラに客演することが増えるが、1979年に北ドイツ放送響の音楽監督に就任。 しかし、これは、楽団員との確執が高まり2年で退任。 1983年から、ロンドン・フィルの音楽監督になってから、世界中で有名になる。 特に、ドイツ=オーストリア系のレパートリーで、絶大な人気を誇り、マーラーの交響曲などは、リリースされるたびに、話題となるほどであった。 

 しかし、1985年、咽頭がんにかかり、治療を続けながら活動をしていたが、1987年、ロンドン・フィルの音楽監督を辞任。 体調がいい時は、客演を続けたが、1993年には、事実上の引退状態となり、1998年1月11日に亡くなる。

 「フルトヴェングラーをほうふつとさせる。」と、ロンドンの批評家に言わせるほど、魅力的な演奏スタイルで、特に、仕事として指揮者の要求に答えようとするアメリカ、ロンドンのオーケストラと相性が良かった。 今聴いても、非常に魅力的です。

 

 では、ムソルグスキーの「禿山の一夜」を。 内容としては、後期ロマン派的なものもあるこの作品に、そういったスタイルで演奏しています。 クラシック好きなら、「さすがテンシュテット!」と、喜ぶこと間違いなし。

 

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 Manuel de Falla(1576-1946)生誕150年です。

 スペイン近代音楽の代表的作曲家です。

 スペイン南東端のカディス生まれ。 早くから音楽の才能を示し、母や地元の音楽家からピアノや作曲を習った。 時期は不明ながら音楽学校に入学している。 地元のパトロンに懇意にしてもらっていたようで、15歳の時に文学とジャーナリズムに興味を持った時は、文学誌「エルブルン」「エスカルカベル」を創刊。 そのパトロン、サルバドール・ビニエグラには、1897年「チェロとピアノ曲」を献呈している。 1899年には、地元の音楽学校でピアノで1位を取る。

 1900年には、家族でマドリードに移住、マドリード音楽院に入学して、ホセ・トラゴにピアノ、フェリぺ・ペドレルに作曲を師事。 その後、ピアノ教師をしながら作品を発表しはじめ、オペラ「はかなき人生」で、王立アカデミーの歌劇賞を受賞し、作曲家として認められる。

 1907年から14年までパリに在住。 ドビュッシー、ラヴェル、デュカス、アルベニスらと親交を持ち、ラヴェルやストラヴィンスキーがいた芸術サークル「アパッシュ」にも参加。 

 1914年、第一次世界大戦勃発により帰国、マドリードに居を構え、「スペインの夜の庭」2つのバレエ曲「三角帽子」「恋は魔術師」、歌曲集「7つのスペイン民謡」などの代表作を作曲。 1921年からは、グラナダで隠遁生活を始める。 1936年から始まったスペイン内戦の影響で、親友が殺されたことなどにより、1939年、アルゼンチンに亡命。 スペインには帰ることなく、1946年アルゼンチンのコルドバで没。

 スペインの作曲家で、一番知名度がある人でしょう。 「三角帽子」や「恋は魔術師」などは、クラシック音楽が好きなら、1度は聴いたことがあるはず。 スペイン固有の音楽を取り入れたのは、ペドレルからの影響で、ペドレルはスペイン音楽の研究家だったことで有名です。 そこに、フランス近代のスタイルを取り込んでいきました。 その、近代的で生き生きとした音楽は、今もたくさんの人をとりこにしています。

 

では、代表曲「火祭りの踊り」をスペイン人指揮者で。

 

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 Walter  Piston(1894-1976)没後50年です。

 20世紀アメリカの作曲家。

 メイン州ロックランド生まれ。 1905年に家族でボストンに移住。 同地の工業高校でエンジニアとしての教育を受けるが、芸術を志すようになり同高校卒業後、1912年、マサチューセッツ芸術大学入学、美術を専攻。 ただ、ハリス・ショーという人にピアノを学んだことから、10代から、ダンスバンドで、ピアノやヴァイオリンを演奏して自活するようになる。 1920年に、ハーヴァード大学に入学、対位法、カノンとフーガ、作曲と音楽史、上級和声法を履修。 同大学の助手を務めるようになり、学生オーケストラの指揮もするようになる。 同大学を最優等で卒業すると、奨学金を得て、パリに留学、1924年から26年まで、エコールノルマル音楽院で、エネスコにヴァイオリン、デュカスとナディア・ブーランジェに作曲を師事。 1926年に、アメリカに帰国後は、ハーヴァード大学で教鞭をとりながら作曲活動を続け、ラジオ向けやボストン・ポップス・オーケストラや様々な団体、基金からの委嘱で作品を発表もした。 1976年11月12日、マサチューセッツ州ベルモントにて、心臓発作のため没。

 作曲スタイルとしては、調性を保っていたので、穏健派的イメージです。 コープランドあたりと同じですね。 フランスで学んでいるので、そういう匂いはします。 でも、アメリカ独自の作風です。

 

 

では、2曲ほど。

 

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 結成40周年です。 と、言っても1年間限定の活動でしたが。

 サザンオールスターズの、メンバーであり桑田佳祐の妻の原由子が、産休のためサザンが活動休止中に、活動したバンドです。 サザンからは1人だけで、後はサポート・メンバーなどで構成。 サザンとは違うコンセプトで活動したかったのが、理由の1つ。 歌詞を全部英語にすることも、目的だったようです。

 1986年1月結成で、ちょうど1年の1987年1月に解散。 シングル4つ、スタジオ・アルバム1つ、ライヴ・アルバム1つを残しました。 なかなか、SNSで音源が解禁されませんでしたが、2016年に、桑田が還暦になったのを機にyoutubeで解禁されました。

 結果的には、シングルは、サザンとそんなに変わりませんが、アルバムのほうは、全歌詞英語で、かなり、イメージは変わります。

 

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  では、デビュー・シングルを。

 

 

 

 

 

 

 

 ※時々指揮者も混ぜます。

 Edouard van Remoortel(1926-1977)生誕100年です。

 ブリュッセルに生まれ、ブリュッセル音楽院とジュネーヴ音楽院でチェロを学ぶ。 17歳でデビューするも、指揮者を目指し、イタリアのキジアーナ音楽院でアルチェオ・ガリエラに師事。 帰国後、パリのコンセール・ポピュレール(現コンセール・パドル―)の常任ではない首席指揮者に就任、研鑽を積む。 1951年から58年まで、ベルギー国立管弦楽団の首席指揮者を務める、後任はクリュイタンスであった。 1958年から62年まで、セントルイス交響楽団の首席指揮者となった後は、モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の顧問となったほかは、フリーで活動。 1976年5月16日パリにて没、50歳であった。

 この人、今は、ほとんど知られていませんが、アナログ時代の、名曲アルバムには、よく音源が使われていて、けっこう、いい演奏だったんです。 クラシック音楽としては、フランスの属国のようなベルギー出身だったことと(すでにクリュイタンスもいた)、けっして一流とは言えないキャリアなので、軽く見られがちですが、今だったら、日本のどこかのオーケストラで音楽監督してても不思議ではないと思います。

 

では、フランクの交響曲ニ短調のフィナーレを。モノラルですが、いい演奏なのは、わかると思います。

 

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 Franz Ignaz Danzi(1763-1826)没後200年です。

 初期ロマン派の作曲家です。 シュベツィンゲンに生まれマンハイムで育つ。 父親は高名なチェリストであった。 父とゲオルグ・ヨーゼフ・フォーグラーの指導を受け、1778年には、プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールの宮廷楽団に迎え入れられる。 いわゆるマンハイムのオーケストラですね。

 1784年、プファルツ選帝侯を継いだカール・テオドールのミュンヘンの宮廷楽団の首席チェロとして移籍。 1892年には、声楽家の妻と共に、ドイツ、チェコ、イタリアの都市に、オペラ巡業を行った。 1798年には、ミュンヘンに戻り、第2宮廷楽長に就任するも、1807年、待遇への不満から、シュトゥットガルトに行き、そこで宮廷楽長となる。 1812年には、カールスルーエに移住し、王立音楽院に就職。 1826年、同地で没。

 作曲家としては、当時も一流ではありませんでしたが、音楽家としては優秀で、作品も、良い響きを持ち、魅力的でした。ちょうど、中産階級が音楽を楽しみ始めた時期だったので、あちこちで評判になったのは、想像に難くありません。 特に、木管五重奏曲は、響きの良さが秀逸で、定番のレパートリーになってます。

 

 と、言いつつ、ピアノと木管楽器のための五重奏曲です(笑) ピアノ伴奏でのソロのリレーとか、管楽器をバックにしたピアノ協奏曲風の部分など、さまざまな工夫が楽しいです。

 

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 Ben Johnston(1926-2019)生誕100年です。

 アメリカの現代音楽作曲家で、これまた、独特なスタイルで作曲した人です。

 いわゆる微分音を使った人で、先達のハリー・パーチに触発され、音の高次倍音列を使います。これは、1つの音には、必ず倍音が含まれていて、それが、その楽器の独得の音を構成するんですが、必ずしも、整数倍ではなく、ドの音を出しても、はるか上の倍音は、まったく違う音階だったりするのです。 それを用いて、弾かせるので、やはり、トンデモ音楽に聴こえてきます。しかし、自然に出てくる音なので、聴いてみると、そこまで、メチャクチャに聴こえないのが不思議なところ。

 ながらくイリノイ大学で教鞭をとっていたことが、知られています。

 

では、弦楽四重奏曲第4番を。 アメイジング・グレイスによる変奏曲なんですが、上記のスタイルなので、ピッチやリズムが、どんどん細分化するため、最後は、大変なことになってます。

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